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明細書 :光脱炭酸反応を利用した重水素化化合物の製造方法

発行国 日本国特許庁(JP)
公報種別 特許公報(B2)
特許番号 特許第5077895号 (P5077895)
公開番号 特開2010-195755 (P2010-195755A)
登録日 平成24年9月7日(2012.9.7)
発行日 平成24年11月21日(2012.11.21)
公開日 平成22年9月9日(2010.9.9)
発明の名称または考案の名称 光脱炭酸反応を利用した重水素化化合物の製造方法
国際特許分類 C07C 269/06        (2006.01)
C07C 271/12        (2006.01)
C07C 271/22        (2006.01)
C07C 319/20        (2006.01)
C07C 323/25        (2006.01)
C07B  59/00        (2006.01)
C07K   1/06        (2006.01)
FI C07C 269/06
C07C 271/12
C07C 271/22
C07C 319/20
C07C 323/25
C07B 59/00
C07K 1/06
請求項の数または発明の数 10
全頁数 18
出願番号 特願2009-046130 (P2009-046130)
出願日 平成21年2月27日(2009.2.27)
審査請求日 平成23年3月29日(2011.3.29)
特許権者または実用新案権者 【識別番号】504145320
【氏名又は名称】国立大学法人福井大学
発明者または考案者 【氏名】吉見 泰治
【氏名】伊藤 達哉
個別代理人の代理人 【識別番号】100080791、【弁理士】、【氏名又は名称】高島 一
審査官 【審査官】水島 英一郎
参考文献・文献 Chem.Commun.,2007年,5244-5246
調査した分野 C07C 269/06
C07C 271/12
C07C 271/22
C07C 319/20
C07C 323/25
C07B 59/00
C07K 1/06
JMEDPlus(JDreamII)
JST7580(JDreamII)
特許請求の範囲 【請求項1】
カルボン酸をフェナントレン、ジシアノベンゼン、チオール、および重水素源の共存下で光脱炭酸反応に供し、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む、重水素化化合物の製造方法。
【請求項2】
ジシアノベンゼンが1,4-ジシアノベンゼンである、請求項1記載の方法。
【請求項3】
ジシアノベンゼンに代えて4-シアノ安息香酸エステルを用いる、請求項1記載の方法。
【請求項4】
フェナントレンに代えて、ナフタレン、1,4-ジメチルナフタレン、トリフェニレン、またはクリセンを用いる、請求項1~3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
該カルボン酸がアミノ酸またはペプチドであり、そのアミノ基が保護基で保護されている、請求項1~4のいずれか1項に記載の方法。
【請求項6】
保護基がtert-ブトキシカルボニル基である、請求項5記載の方法。
【請求項7】
該カルボン酸が、2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸またはその誘導体であり、
該α-アミノ酸またはその誘導体のα-カルボキシル基だけを選択的に重水素で置換することを特徴とする、
請求項1~4のいずれか1項に記載の方法。
【請求項8】
重水素源が、重水素化された、水酸基、フェノール性水酸基、カルボキシル基、スルホ基、およびメルカプト基からなる群から選択される1種類以上の官能基を有する化合物である、請求項1~7のいずれか1項に記載の方法。
【請求項9】
重水素源が重水である、請求項1~7のいずれか1項に記載の方法。
【請求項10】
チオールが1,1-ジメチルデカン-1-チオールである、請求項1~9のいずれか1項に記載の方法。
発明の詳細な説明 【技術分野】
【0001】
本発明は、医薬、農薬、有機発光材料、有機非線形光学材料などの光学材料といった化学薬品や化学製品などへの重水素の導入方法を含む、重水素標識化合物などの重水素化化合物の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
化合物に重水素を導入する重水素化反応は、きわめて有用な反応である。重水素化反応によって提供される重水素化化合物は、重水素標識化合物、重水素化溶媒、重水素化内部標準物質などとして使用されている。
【0003】
重水素標識化合物は、反応機構の解明、生体内における物質の代謝や薬物動態の解析などのために有用である。
【0004】
重水素化反応は、化合物の1つ以上の水素を重水素に置換することで同位体効果をもたらすことから、得られる重水素化化合物に、置換前とは異なる、より好ましい反応性や物性を与え得る。
【0005】
例えば、医薬、農薬などの有効成分を構成する化合物において、その1つ以上の水素を重水素で置換することで、同位体効果が生じ、該化合物の反応性や物性が変化し得、それにより向上した薬効や薬物動態を示す医薬、効能が向上した農薬などが提供され得る。
【0006】
また例えば、水素を重水素で置換することで、有機発光材料において、分子振動を抑え得、熱失活が抑制され得、有機非線形光学材料において、吸収波長をシフトさせ得、使用波長域での吸収損失が低減され得る。
【0007】
かかる重水素化反応の有用性にもかかわらず、重水素化化合物は、一般には、重水素化アセトン、重水素化酢酸などの限られた小分子のものや、食品における残留農薬の定量分析などのための内部標準物質としての重水素化された農薬といった特定の化合物しか市販されておらず、それらは非常に高価である。
【0008】
かかる背景の下、種々の官能基や構造を有する化合物について、その重水素化方法の研究がなされている。アミノ酸、ペプチドなどのカルボキシル基を有する化合物を含め、カルボン酸は、自然界にも広く存在するものであり、重水素化が特に望まれる化合物の1つである。
【0009】
カルボン酸の重水素化方法としては、従来、種々の方法が提案されている。例えば特許文献1は、カルボン酸を含む、一定の式で表される化合物の重水素化方法を開示しており、該方法は、活性化された、パラジウム触媒、白金触媒などの金属触媒の存在下、該化合物を重水などの重水素源と加熱条件下で反応させることを特徴とする。
【0010】
かかる従来のカルボン酸の重水素化方法は、高価な金属触媒を用いる必要があり、そのため重水素化化合物を安価で提供することができなかった。また、特許文献1記載の方法においては、化合物において重水素置換され得る水素の位置が複数存在する場合、特定の位置の水素だけを選択的に重水素化することはできず、重水素置換された位置の異なる、いくつかの種類の生成物が生成し得る。
【0011】
非特許文献1は、カルボン酸をフェナントレン、1,4-ジシアノベンゼン、および重水の共存下で光脱炭酸反応させ、カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させることを含む、カルボン酸の重水素化方法を開示している。
【0012】
非特許文献1の方法によれば、金属触媒を必要とすることなく、カルボン酸(アミノ酸などのカルボキシル基を有する化合物を含む)の特定の位置だけに選択的に、かつ高い重水素化率で重水素を導入することが可能となる。また、加熱を必要としないことから、簡便に重水素化された化合物を得ることができる。しかしながら、非特許文献1記載の方法においては、カルボン酸のカルボキシル基が4-シアノフェニル基で置換された副生成物が生成し、得られるカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物の収率が低いという問題がある。
【0013】
具体的には、非特許文献1によれば、tert-ブトキシカルボニル基(Boc)でアミノ基が保護されたL-フェニルアラニン(N-Boc-L-フェニルアラニン)をフェナントレン、1,4-ジシアノベンゼン、および重水の共存下で光脱炭酸反応させ、重水素化した場合、得られる脱炭酸還元生成物は、100%の割合でカルボキシル基が重水素で置換されたものであるが(カルボキシル基が水素で置換された脱炭酸還元生成物は実質的には生成しない)、その収率は低く、11%であり、該副生成物が22%の収率で生成したことが報告されている。
【先行技術文献】
【0014】

【特許文献1】国際公開2004/060831号パンフレット
【0015】

【非特許文献1】Chem. Commun., 2007, 5244-5246
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0016】
本発明は上記のような事情に鑑みてなされたものであり、その課題とするところは、カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む、重水素化化合物の製造方法であって、加熱や金属触媒を必要とすることなく、安価で、簡便に、そして良好な収率で、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を得ることができ、カルボン酸の脱炭酸還元生成物における重水素化率が高く、かつカルボン酸の特定の位置だけに選択的に重水素を導入することができる、重水素化化合物の製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0017】
本発明者は前記課題を解決すべく鋭意検討した結果、カルボン酸(アミノ酸、ペプチド、およびこれらの誘導体を含む)をフェナントレン、ジシアノベンゼン、および重水などの重水素源、ならびにチオールの共存下で光脱炭酸反応させることで、金属触媒や加熱を必要とすることなく、該カルボン酸のカルボキシル基が重水素で置換された、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物が、良好な収率で得られることを見出した。そしてかかる知見に基づき研究を進めた結果、該方法により得られるカルボン酸の脱炭酸還元生成物は、重水素化率が高く、反応条件によっては重水素化率が100%となること、および該方法によりカルボン酸の特定の位置だけに選択的に重水素を導入し得ること、特に該カルボン酸が、2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸またはその誘導体である場合、該α-アミノ酸またはその誘導体のα-カルボキシル基だけを選択的に重水素で置換し得ることを見出した。さらに、該方法においてジシアノベンゼンに代えて4-シアノ安息香酸エステルを、フェナントレンに代えて、ナフタレン、1,4-ジメチルナフタレン、トリフェニレン、またはクリセンを用いても同様の効果が得られることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0018】
すなわち、本発明は以下の通りである。
(1)カルボン酸をフェナントレン、ジシアノベンゼン、チオール、および重水素源の共存下で光脱炭酸反応に供し、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む、重水素化化合物の製造方法。
(2)ジシアノベンゼンが1,4-ジシアノベンゼンである、前記(1)記載の方法。
(3)ジシアノベンゼンに代えて4-シアノ安息香酸エステルを用いる、前記(1)記載の方法。
(4)フェナントレンに代えて、ナフタレン、1,4-ジメチルナフタレン、トリフェニレン、またはクリセンを用いる、前記(1)~(3)のいずれかに記載の方法。
(5)該カルボン酸がアミノ酸またはペプチドであり、そのアミノ基が保護基で保護されている、前記(1)~(4)のいずれかに記載の方法。
(6)保護基がtert-ブトキシカルボニル基である、前記(5)記載の方法。
(7)該カルボン酸が、2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸またはその誘導体であり、
該α-アミノ酸またはその誘導体のα-カルボキシル基だけを選択的に重水素で置換することを特徴とする、
前記(1)~(4)のいずれかに記載の方法。
(8)重水素源が、重水素化された、水酸基、フェノール性水酸基、カルボキシル基、スルホ基、およびメルカプト基からなる群から選択される1種類以上の官能基を有する化合物である、前記(1)~(7)のいずれかに記載の方法。
(9)重水素源が重水である、前記(1)~(7)のいずれかに記載の方法。
(10)チオールが1,1-ジメチルデカン-1-チオールである、前記(1)~(9)のいずれかに記載の方法。
【発明の効果】
【0019】
本発明の製造方法によれば、非特許文献1記載の方法におけるような副生成物を実質的に生成させることなく、カルボン酸を光脱炭酸反応させ、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を良好な収率で得ることができ、得られる脱炭酸還元生成物は、重水素化率が高く、重水素化率は100%となり得る。
【0020】
また、本発明の製造方法によれば、カルボン酸の特定の位置だけに選択的に重水素を導入することができ、重水素化するカルボン酸が、2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸またはその誘導体である場合、側鎖のカルボキシル基を重水素で置換することなく、該α-アミノ酸またはその誘導体のα-カルボキシル基だけを選択的に重水素で置換することができる。
【0021】
さらに、本発明の製造方法によれば、加熱や金属触媒を必要としないことから、簡便に、かつ安価で重水素化化合物を得ることができる。
【0022】
したがって、本発明の製造方法は、重水素標識化合物、重水素化溶媒、重水素化内部標準物質などの重水素化化合物の製造や、医薬、農薬、有機発光材料、有機非線形光学材料などの光学材料といった化学薬品や化学製品などへの重水素の導入のために好適に使用し得る。
【0023】
本発明の製造方法は、アミノ酸、ペプチド、カルボキシル基を有するステロイド類または糖類など天然に存在する化合物やその誘導体についても広く適用することができ、アミノ酸、特に2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸、もしくはペプチド、またはこれらの誘導体の重水素化された脱炭酸還元生成物の製造に特に好適に使用し得る。
【発明を実施するための形態】
【0024】
以下、本発明を好適な実施態様に即して詳細に説明する。

【0025】
本明細書において、用語「重水素」は、主としてジュウテリウム(以下、Dとも記すことがある)のことをいうが、トリチウム(T)を含む概念であり、用語「水素」は軽水素(プロチウム)を指す。

【0026】
本発明の重水素化化合物の製造方法は、1つの態様において、カルボン酸をフェナントレン(以下、「Phen」とも記すことがある)、ジシアノベンゼン、チオール、および重水素源の共存下で光脱炭酸反応に供し、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む方法であり、それによりカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物(カルボン酸のカルボキシル基が重水素で置換された化合物)を生成させ得る。

【0027】
前記ジシアノベンゼンとしては、1,4-ジシアノベンゼン(以下、「DCB」とも記すことがある)、1,2-ジシアノベンゼン、および/または1,3-ジシアノベンゼンを使用することができるが、該光脱炭酸反応の進行性の観点から1,4-ジシアノベンゼン(DCB)を使用することが好ましい。

【0028】
本発明の方法において、光脱炭酸反応は、溶媒を使用して溶液内で進行させることが一般的である。1つの好ましい態様において、本発明の重水素化化合物の製造方法は、カルボン酸をフェナントレン(Phen)、1,4-ジシアノベンゼン(DCB)、チオール、および重水素源の共存下で光脱炭酸反応に供し、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む方法であり、かかる態様において、光脱炭酸反応は、スキーム1に示されるような反応機構により進行すると考えられる。

【0029】
【化1】
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【0030】
すなわち、光脱炭酸反応させ、重水素化する対象のカルボン酸、フェナントレン(Phen)、1,4-ジシアノベンゼン(DCB)、一般式R'SHで表されるチオール、および重水(D2O)などの重水素源が存在する系において、光照射(hν)することでフェナントレン(Phen)が励起状態([Phen]*)となり、該励起されたフェナントレンと1,4-ジシアノベンゼン(DCB)との間の電子移動(ET)によりフェナントレン(Phen)のカチオンラジカル([Phen]・+)と1,4-ジシアノベンゼン(DCB)のアニオンラジカル([DCB]・-)が生成する。

【0031】
該フェナントレンのカチオンラジカル([Phen]・+)は、該重水素化する対象のカルボン酸のカルボキシル基からプロトンが解離して生じた、一般式RCOO-で表されるカルボン酸イオンを酸化し(第二の電子移動(ET))、ラジカル([RCOO・])を生成させ、フェナントレン(Phen)となる。

【0032】
ラジカル([RCOO・])は、脱炭酸反応を起こし、ラジカルR・を生じる。該ラジカル(R・)は、重水(D2O)などの重水素源とチオール(R'SH)の存在下で重水素と結合し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物(RD)が生成する。

【0033】
脱炭酸反応により生じたラジカル(R・)と重水素との結合によりカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物(RD)が生成する反応についての、考えられる反応機構としては、スキーム2の(1)および(2)に示される反応機構が挙げられる。

【0034】
【化2】
JP0005077895B2_000003t.gif

【0035】
すなわち、一般式R'SHで表されるチオールが、反応系中で、そのメルカプト基の水素と重水(D2O)などの重水素源の重水素とが交換される反応が起こることから、重水素化されたメルカプト基を有するチオール(R'SD)となり、かかる重水素化されたメルカプト基を有するチオール(R'SD)からラジカル(R・)が重水素ラジカルを引き抜き、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物(RD)が生成することを含む反応機構(1)、およびラジカル(R・)とアニオンラジカル([DCB]・-)との間の電子移動(ET)によりアニオン(R-)と1,4-ジシアノベンゼン(DCB)が生成し、次いで該アニオン(R-)が重水(D2O)などの重水素源の存在下で重水に由来する重水素イオン(D+)と結合することで、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物(RD)が生成することを含む反応機構(2)が考えられるが、ラジカル(R・)の反応性が非常に大きいことから、反応機構(1)による反応が支配的であると考えられる。

【0036】
ここで、ラジカル(R・)に関する反応としては、前記スキーム2の(1)および(2)に示される反応機構による反応のほかに、スキーム2の(3)で示されるような、ラジカル(R・)とアニオンラジカル([DCB]・-)との結合、およびそれに続く脱シアンを含む反応機構によりカルボン酸のカルボキシル基が4-シアノフェニル基で置換された副生成物が生成する反応が考えられる。チオールの非存在下でカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させることを含む非特許文献1記載の方法においても、スキーム2における(3)で示される反応機構によって生成すると考えられる、該副生成物が生成する。一方、本発明の製造方法においては、かかる副生成物は実質的には生成せず、通常かかる副生成物の生成量(収率)は1%以下であり、非特許文献1記載の方法におけるよりも、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物をより良好な収率で得ることができる。

【0037】
別の態様において、本発明の重水素化化合物の製造方法は、前記本発明の製造方法の1つの態様において、ジシアノベンゼンに代えて4-シアノ安息香酸エステルを用いる方法、すなわちカルボン酸をフェナントレン、4-シアノ安息香酸エステル、チオール、および重水素源の共存下で光脱炭酸反応に供し、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む方法である。

【0038】
前記4-シアノ安息香酸エステルとしては、本発明の効果が損なわれない限り、限定されず、任意のものを使用することができ、例えば4-シアノ安息香酸エチル、4-シアノ安息香酸メチルなどが挙げられる。

【0039】
さらに別の態様において、本発明の重水素化化合物の製造方法は、前記本発明の製造方法の種々の態様において、フェナントレンに代えて、ナフタレン、1,4-ジメチルナフタレン、トリフェニレン、またはクリセンを用いる方法である。

【0040】
本発明の重水素化化合物の製造方法のこれらの別の態様においても同様に、スキーム1に示されるような反応機構で光脱炭酸反応が進行し、スキーム2の(1)および(2)に示されるような反応機構で脱炭酸反応により生じたラジカル(R・)と重水素とが結合し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物(RD)が生成すると考えられ、副生成物は実質的には生成せず、非特許文献1記載の方法におけるよりも、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物をより良好な収率で得ることができる。

【0041】
本発明の重水素化化合物の製造方法の上記の各態様において、ジシアノベンゼン、または4-シアノ安息香酸エステル(以下これらをジシアノベンゼン等と総称することがある)に代えて、本発明の効果が損なわれない限り、ジシアノベンゼン等の誘導体、例えばジシアノベンゼン等が1つ以上の任意の置換基(例えば水酸基、アミノ基、メチル基など)で置換されたものをジシアノベンゼン等と同様に使用してもよい。

【0042】
また、本発明の重水素化化合物の製造方法の上記の各態様において、フェナントレン、ナフタレン、1,4-ジメチルナフタレン、トリフェニレン、またはクリセン(以下これらをフェナントレン等と総称することがある)に代えて、本発明の効果が損なわれない限り、フェナントレン等の誘導体、例えばフェナントレン等が1つ以上の任意の置換基(例えば水酸基、アミノ基、メチル基など)で置換されたものをフェナントレン等と同様に使用してもよい。

【0043】
本発明において、光脱炭酸反応させ、重水素化する対象の「カルボン酸」とは、カルボン酸イオンおよび/またはカルボン酸を含む概念である。したがって、例えばカルボン酸のナトリウム塩などのカルボン酸の塩や、該塩を溶媒に溶解させて生じたカルボン酸イオンおよび/またはカルボン酸も、重水素化する対象のカルボン酸に含まれる。重水素化する対象のカルボン酸としては、前記光脱炭酸反応に供する観点から、使用する溶媒に溶解し、遊離カルボン酸および/もしくはカルボン酸イオンを生じるものであるか、または遊離カルボン酸および/もしくはカルボン酸イオンであることが好ましい。

【0044】
前記遊離カルボン酸としては、脂肪族カルボン酸、芳香族カルボン酸などが挙げられる。脂肪族カルボン酸としては、限定されず、カルボン酸を一般式RCOOHで表した場合、基Rが直鎖状である低級脂肪酸(例えばプロパン酸など)または高級脂肪酸(例えばステアリン酸など)、基Rが分枝状である低級脂肪酸(例えばtert-ブチル酢酸など)または高級脂肪酸(例えば14-メチルパルミチン酸など)、シクロヘキサンカルボン酸などの脂環式カルボン酸などが例示される。前記基Rは飽和であってもよく、不飽和であってもよい。

【0045】
前記芳香族カルボン酸としては、限定されないが、前記ラジカル(R・)を生成させる観点から、例えば3-フェニルプロパン酸などのような芳香環に直接カルボキシル基が結合せず、アリール基からアルキル基などの基を介してカルボキシル基を有するようなカルボン酸が好ましく、安息香酸などのような重水素化するカルボキシル基が芳香環に直接結合しているカルボン酸は、好ましくない。

【0046】
前記脂肪族カルボン酸および芳香族カルボン酸は、一般式RCOOHで表した場合、該基Rが、本発明の効果を損なわない限り、水酸基、アミノ基、スルホ基、カルボニル基、カルボキシル基、ハロゲン原子(クロロ、ブロモなど)などの種々の置換基を有するものであってもよい。また、該基Rに含まれる官能基が、アミノ基についてのtert-ブトキシカルボニル基などのような当該技術分野で公知の保護基で保護されていてもよい。

【0047】
したがって、前記遊離カルボン酸としては、グリコール酸などのヒドロキシカルボン酸、ピルビン酸などのオキソカルボン酸、コハク酸などの多価カルボン酸、アミノ酸もしくはペプチド、またはこれらの誘導体(例えばアミノ基がtert-ブトキシカルボニル基などの保護基で保護されたアミノ酸またはペプチドなど)、カルボキシル基を有するステロイド類または糖類などであってもよく、本発明の効果が損なわれない限り、天然に存在する化合物やその誘導体などについても広く本発明の製造方法を適用し得る。

【0048】
なかでも、本発明の製造方法は、アミノ酸、もしくはペプチド、またはこれらの誘導体に好適に適用し得る。前記誘導体としては、例えばアミノ基が保護基で保護されたアミノ酸またはペプチドが挙げられ、アミノ基についての前記保護基としてはtert-ブトキシカルボニル基などの当該技術分野で公知の保護基が挙げられる。本発明の製造方法は、アミノ基が保護基で保護されたアミノ酸またはペプチド、例えばアミノ基がtert-ブトキシカルボニル基で保護されたアミノ酸またはペプチドなどに特に好適に適用し得る。前記アミノ酸としては、L-ロイシン、L-フェニルアラニン、L-メチオニン、L-グルタミン酸などが例示され、前記ペプチドとしてはGly-Val-OH、Gly-Val-Val-OHなどが例示され、アミノ基が保護基で保護されたアミノ酸またはペプチドとしては、これらのアミノ基がtert-ブトキシカルボニル基で保護されたものが例示される。

【0049】
光脱炭酸反応させ、重水素化する対象のカルボン酸が2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸またはその誘導体である場合、例えば2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸であって、該α-アミノ酸のアミノ基がtert-ブトキシカルボニル基などの保護基で保護されたアミノ酸である場合、本発明の方法によれば、側鎖のカルボキシル基を重水素で置換することなく、該α-アミノ酸のα-カルボキシル基だけを選択的に重水素で置換することができる。これは、該α-カルボキシル基についての光脱炭酸反応が、側鎖のカルボキシル基についての光脱炭酸反応よりも速く進行することによるものと考えられる。

【0050】
したがって、光脱炭酸反応させ、重水素化する対象のカルボン酸が2つ以上のカルボキシル基を有するα-アミノ酸またはその誘導体である場合、本発明の製造方法は、特にその効果が顕在化する。

【0051】
溶液中で光脱炭酸反応を行う場合、重水素化する対象のカルボン酸の反応開始時の濃度としては、重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を効率的に得るなどの観点から、1~100mMとすることが好ましく、10~50mMとすることがより好ましい。なお、本明細書においてカルボン酸の脱炭酸還元生成物についての「重水素化率」とは、カルボン酸の脱炭酸還元生成物全体(重水素化の目的のカルボキシル基が水素または重水素で置換されたもの)に対する、重水素化されたカルボン酸の脱炭酸還元生成物(重水素化の目的のカルボキシル基が重水素で置換されたもの)の割合を百分率で表したものを指す。

【0052】
前記一般式R'SHで表されるチオールとしては、反応系の溶媒に溶解するものであれば、限定されず、任意のチオールを使用することができ、脂肪族チオールであってもよく、芳香族チオールであってもよい。また、2つ以上のメルカプト基を有する、多価チオールであってもよい。

【0053】
前記基R'としては、限定されず、置換基を有していてもよい直鎖状または分枝状のアルキル基、置換基を有していてもよいアリール基などが例示され、前記置換基としては、アミノ基、カルボニル基、ハロゲン原子(クロロ、ブロモなど)などが例示される。カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物の重水素化率を高めるなどの観点から、基R'としては、カルボキシル基、水酸基、スルホ基などの活性水素を含む官能基を含まないものか、またはこれらを含んでいてもその活性水素が重水素化されているものが好ましい。一般式R'SHで表されるチオールとしては、例えば、該基R'が直鎖状または分枝状のアルキル基である場合、入手のしやすさ、環境への影響(臭気の低減)、溶媒への溶解性、得られるカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物の重水素化率などの観点から、炭素数6~15個の1価のチオールを使用することが好ましい。

【0054】
本発明の方法において、重水素源により反応系中で重水素化されたメルカプト基を有するチオールは、前記ラジカル(R・)にその重水素を供与する重水素供与体として作用すると考えられる。非特許文献1に開示される方法とは異なり、本発明の製造方法においては、チオールの共存下で光脱炭酸反応させることで、前記副生成物を実質的には生成させることなく、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物をより良好な収率で得ることができる。

【0055】
本発明の方法において好ましいチオールとしては、1,1-ジメチルデカン-1-チオール、1-ドデカンチオール、1-ウンデカンチオール、1-デカンチオール、1-ノナンチオール、1-オクタンチオール、1-ヘプタンチオール、1-ヘキサンチオールなどを例示することができる。なかでも、1,1-ジメチルデカン-1-チオールは、重水素化率の高いカルボン酸の脱炭酸還元生成物を良好な収率で与えることから、本発明の方法において好適に使用することができる。チオールは公知の方法によって製造してもよく、市販品を使用してもよい。

【0056】
チオールの反応開始時の濃度としては、重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を効率的に得るなどの観点から、10~50mMとすることが好ましく、15~30mMとすることがより好ましい。また、重水素化する対象のカルボン酸のカルボキシル基(特定のカルボキシル基だけを選択的に重水素で置換するような場合は当該重水素で置換するカルボキシル基)1当量に対して、メルカプト基が1~5当量となる濃度であることが好ましく、1.5~3当量となる濃度であることがより好ましい。

【0057】
重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を効率的に得るなどの観点から、フェナントレン等の反応開始時の濃度、およびジシアノベンゼン等の反応開始時の濃度としては、同一の濃度であっても異なる濃度であってもよいが、それぞれ1~100mMであることが好ましく、5~50mMであることがより好ましい。また、重水素化する対象のカルボン酸のカルボキシル基(特定のカルボキシル基だけを選択的に重水素で置換する場合は当該重水素で置換するカルボキシル基)1当量に対して、フェナントレン等、およびジシアノベンゼン等がそれぞれ0.1~5当量となる濃度であることが好ましく、0.5~2当量となる濃度であることがより好ましい。

【0058】
スキーム1、およびスキーム2の(2)により示唆されるように、反応系において、生じたカチオンラジカル([Phen]・+)およびアニオンラジカル([DCB]・-)は、電子移動により再びそれぞれフェナントレン(Phen)と1,4-ジシアノベンゼン(DCB)となり、光脱炭酸反応に再利用され得るものと考えられる。実際に、カルボン酸をフェナントレン、ジシアノベンゼン、チオール、および重水素源の共存下で光脱炭酸反応に供し、該カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することを含む、本発明の方法においては、カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させる反応を終了させた後、フェナントレンとジシアノベンゼンを回収し、これらをかかるカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させる反応に再利用することができる。4-シアノ安息香酸エステル、ナフタレン、1,4-ジメチルナフタレン、トリフェニレン、またはクリセンを用いる本発明の方法の他の態様においても、同様に反応を終了させた後、これらを回収し、再利用することができる。

【0059】
前記重水素源は、本発明の製造方法において、重水素化されたメルカプト基を有するチオールを生成させるとともに、前記アニオン(R-)に重水素を供与するはたらきをするものと考えられる。したがって、重水素源としては、活性重水素を含む化合物が好ましい。重水素源としてはまた、活性水素の重水素化率の高い化合物(活性水素の含有量が低い化合物)が好ましい。

【0060】
前記活性重水素を含む化合物としては、限定されないが、重水素化された、水酸基、フェノール性水酸基、カルボキシル基、スルホ基、およびメルカプト基からなる群から選択される1種類以上の官能基を有する化合物が挙げられる。かかる重水素化された官能基を有する化合物としては、重水(D2O)、酢酸-d4、エタノール-d6、エタノール-d1(CH3CH2OD)、エチレングリコール-d6、メタノール-d4、メタノール-d1(CH3OD)、フェノール-d6、メタンスルホン酸-d4、エタンチオール-d6などが例示され、なかでも、安価でカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を提供する観点から、重水が好適に使用される。

【0061】
重水素源としてはまた、例えば重塩酸(重水溶液)、重水酸化ナトリウム(NaOD)の重水溶液、重水とエタノール-d6との混合溶液といった2種類以上の化合物の混合物を使用してもよい。重水素源としての化合物や混合物は、公知の方法によって製造することができ、市販品を使用することもできる。

【0062】
重水素源としての化合物や混合物における、活性水素の重水素化率は、重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を得る観点から、90%以上であることが好ましく、95%以上であることがより好ましい。

【0063】
重水素源の反応開始時の濃度としては、重水素源を構成する化合物や混合物の種類、該化合物の混合割合などにもよるが、重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を効率的に得る観点から、重水素化する対象のカルボン酸のカルボキシル基(特定のカルボキシル基だけを選択的に重水素で置換する場合は当該重水素で置換するカルボキシル基)やチオールの量に対して、重水素源に含まれる活性重水素の含有量が過剰となる濃度であることが好ましい。重水素源の反応開始時の濃度としてはまた、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を安価で得る観点から、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物の良好な重水素化率を与える濃度であって、必要以上に高い濃度でないことが好ましい。

【0064】
例えば、重水素源として重水を使用する場合、該重水の反応開始時の濃度の上限としては、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を安価で得る観点から、重水素化する対象のカルボン酸のカルボキシル基1当量に対して、重水素換算で1100当量以下となる濃度が好ましく、560当量以下となる濃度がより好ましく、340当量以下となる濃度がさらに好ましい。重水の反応開始時の濃度の下限としては、重水素化する対象のカルボン酸のカルボキシル基1当量に対して、重水素換算で220当量以上となる濃度が好ましい。220当量未満である場合、得られるカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物の重水素化率は100%よりも低くなるおそれがある。

【0065】
具体的には、例えば、フェナントレン(10mM)、1,4-ジシアノベンゼン(10mM)、1,1-ジメチルデカン-1-チオール(20mM)、および重水素化する対象の1価のカルボン酸(10mM)を含む、アセトニトリル(溶媒)と重水(重水素源)との混合溶液において、該カルボン酸を光脱炭酸反応させ、その重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させる場合、重水の反応開始時の濃度の上限としては、5.5M以下であることが好ましく、2.8M以下であることがより好ましく、1.7M以下であることがさらに好ましく、重水の反応開始時の濃度の下限としては、1.1M以上であることが好ましい。重水の反応開始時の濃度が1.1M未満である場合、得られるカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物の重水素化率は100%よりも低くなるおそれがある。

【0066】
すなわち、この場合において、前記アセトニトリルの体積と前記重水の体積の合計を100体積%とすると、重水の体積の割合の上限としては、10体積%以下であることが好ましく、5体積%以下であることがより好ましく、3体積%以下であることがさらに好ましい。また、重水の体積の割合の下限としては、2体積%以上であることが好ましい。

【0067】
本発明の方法において、溶媒を使用し、該溶媒内に、重水素化する対象のカルボン酸、フェナントレン等、ジシアノベンゼン等、チオール、および重水素源を溶存させ、光源からの光を該溶液に照射し、溶液を攪拌しながら、または攪拌することなく光脱炭酸反応、およびそれに続くカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させる反応を進行させることが一般的である。

【0068】
光脱炭酸反応を開始させる前に、反応系に存在する酸素などによる副反応を抑制するために、アルゴンガスなどの不活性ガスを反応系にバブリングして導入することで、反応系に存在する空気を除去し、不活性ガスに置換することが好ましい。バブリングの時間としては、反応系の容積などにもよるが、例えば反応液の量が20ml、アルゴンガスの流量が50 ml/minである場合、通常、5~20分程度のバブリングで必要な置換を達成することができる。光脱炭酸反応、およびそれに続くカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させる反応の進行中は、不活性ガスは、反応系に導入してもよく、導入しなくてもよい。

【0069】
本発明の方法において使用する溶媒としては、重水素化する対象のカルボン酸、フェナントレン等、ジシアノベンゼン等、チオール、および重水素源を溶解させ得るものが好ましい。また、重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を得る観点から、非プロトン性溶媒であることが好ましい。かかる溶媒としては、重水素化する対象のカルボン酸や、使用する重水素源にもよるが、通常、アセトニトリル、ジメチルスルホキシド、ジメトキシエタン、ジメチルホルムアミドなどが好適に使用される。なかでも、反応後の後処理や反応物の溶解性などの観点からアセトニトリルが好ましい。溶媒としてはまた、前記重水素源を溶媒として使用することもできる。

【0070】
重水素化率の高いカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を得る観点から、有機溶媒を使用する場合、使用前に乾燥させて、溶存する水を除去したものを使用することが好ましい。溶媒の乾燥方法としては、限定されず、公知の方法を使用することができ、例えば五酸化二リンと水素化カルシウムを加え、蒸留し、分取した留分をモレキュラーシーブスを加えて乾燥保存する方法が挙げられる。また、例えば無水アセトニトリルなどの溶媒の市販品を使用してもよい。

【0071】
反応系には、重水素化水酸化ナトリウム(NaOD)、酸化カルシウムなどの塩基性を与える物質を溶解させてもよく、それにより重水素化する対象のカルボン酸からのプロトンの解離が促進され、光脱炭酸反応が促進され得る。

【0072】
光脱炭酸反応を進行させるために照射する光としては、本発明の方法の態様にもよるが、少なくとも波長250~330nmの紫外線の一部または全体を含む光が好ましく、波長280~320nmの紫外線の一部または全体を含む光がより好ましい。

【0073】
使用する光源としては、かかる波長の紫外線を含む光を発生させるものであれば限定されないが、例えば高圧水銀灯、低圧水銀灯、超高圧水銀灯、メタルハライドランプ、キセノンランプ、カーボンアーク灯などが挙げられる。なかでも、波長313nmの紫外線を含む光を高出力で照射できることから高圧水銀灯を好適に使用することができる。高圧水銀灯としては、光脱炭酸反応を適度な速度で進行させる観点から、100~500Wのものが好ましい。

【0074】
光源は単一のものを使用してもよく、2種類以上のものを併用してもよい。また、光学フィルターを用いて目的としない波長の光などの特定の範囲の波長の光を除去してもよい。光は反応系の少なくとも一部に照射すればよいが、より多くの部分に照射することが好ましい。

【0075】
光の照射時間としては、光源およびそのワット数、重水素化する対象のカルボン酸の濃度などにもよるが、例えば400Wの高圧水銀灯を用いて反応液の全体に光を照射し、10mMの濃度の1価のカルボン酸を光脱炭酸反応させる場合、通常、8時間以上とすることで、良好な収率で重水素化された脱炭酸還元生成物を得ることができる。なお、反応系からの炭酸ガスの発生の停止により光脱炭酸反応の完結を知ることができ、光の照射時間は炭酸ガスの発生量を見て適宜調節することができる。

【0076】
反応系から発生した炭酸ガスは、反応系外に放出することができ、それにより反応系の圧力を一定の圧力に保つことができる。

【0077】
本発明の方法により反応系において生成したカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物は、溶媒抽出、晶出、再結晶、クロマトグラフィーなどの公知の方法により単離精製することができる。

【0078】
本発明の方法によれば、良好な収率でカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を得ることができる。その重水素化率は100%となり得、その収率は、重水素化する対象のカルボン酸や反応条件などにもよるが、70%以上となることが多く、反応条件などを適宜調節することで90%以上となり得る。

【0079】
本発明の方法により得られたカルボン酸の脱炭酸還元生成物の重水素化率は、限定されないが、例えば1H NMR、GC/MSなどの公知の方法によって測定することができる。

【0080】
以上説明してきたように、本発明の方法によれば、加熱や金属触媒を必要とすることなく、簡便にカルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換することができる。したがって、本発明の方法によれば、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を安価で提供することができる。
【実施例】
【0081】
以下、実施例を示して本発明をより具体的に説明するが、本発明は以下の実施例によって限定されるものではない。
【実施例】
【0082】
<重水素化率の測定方法>
以下の実施例1~10において得られたカルボン酸の脱炭酸還元生成物は、1H NMRおよび/またはGC/MSによって重水素化率を測定した。
【実施例】
【0083】
<収率の評価>
以下の実施例1~10において得られたカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物は、溶媒抽出、分取HPLC、クロマトグラフィーなどにより精製、単離し、その収率を重水素化する対象としたカルボン酸に基づき算出した。
【実施例】
【0084】
<溶媒の乾燥>
以下の実施例1~10におけるアセトニトリルは、五酸化二リンと水素化カルシウムとを加え、2度常圧蒸留し、分取した留分をモレキュラーシーブス4Aを加えて乾燥保存したものを使用した。
【実施例】
【0085】
実施例1
フェナントレン(10mM)、1,4-ジシアノベンゼン(10mM)、1,1-ジメチルデカン-1-チオール(20mM)、および重水素化する対象のtert-ブトキシカルボニル基(Boc)でアミノ基が保護されたL-ロイシン(N-Boc-L-ロイシン)(10mM)を含む、アセトニトリルと重水(重水素化率99.9%以上)の混合溶液(アセトニトリル:重水=90:10(体積比))を調製した。その20mlをパイレックス(登録商標;254nmの光を除去し得る)の試験管に封入し、20分間アルゴンガスを導入し、バブリングした(流量50 ml/min)。その後、該溶液の全体に高圧水銀灯(理工科学産業(株)製、UVL-400(400W))で8時間光照射し、光脱炭酸反応、およびそれに続くカルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を生成させる反応を進行させ、N-Boc-L-ロイシンの重水素化された脱炭酸還元生成物を得た(スキーム3)。反応混合物における重水の濃度、ならびに脱炭酸還元生成物の重水素化率および該重水素化された脱炭酸還元生成物の収率を表1に示した。
【実施例】
【0086】
【化3】
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【実施例】
【0087】
実施例2~4
アセトニトリルと重水との体積比を表1に示した体積比としたことのほかは、実施例1と同様に、N-Boc-L-ロイシンを光脱炭酸反応させ、その重水素化された脱炭酸還元生成物を得た。
【実施例】
【0088】
実施例2~4における、反応混合物における重水の濃度、ならびに脱炭酸還元生成物の重水素化率および該重水素化された脱炭酸還元生成物の収率を表1に示した。
【実施例】
【0089】
【表1】
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【実施例】
【0090】
実施例5~8
重水素化する対象のカルボン酸を、表2に示すtert-ブトキシカルボニル基(Boc)でアミノ基が保護されたアミノ酸としたこと、およびアセトニトリルと重水との体積比を表2に示す体積比としたことのほかは、実施例1と同様に、該重水素化する対象のカルボン酸を光脱炭酸反応させ、その重水素化された脱炭酸還元生成物を得た(スキーム4)。反応混合物における重水の濃度、ならびに脱炭酸還元生成物の重水素化率および該重水素化された脱炭酸還元生成物の収率を表2に示した。
【実施例】
【0091】
【化4】
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【実施例】
【0092】
【表2】
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【実施例】
【0093】
実施例9~10
重水素化する対象のカルボン酸をスキーム5に示すtert-ブトキシカルボニル基(Boc)でアミノ基が保護されたペプチドBoc-Gly-Val-OH(実施例9)、またはBoc-Gly-Val-Val-OH(実施例10)としたこと、フェナントレン、1,4-ジシアノベンゼンの濃度をともに20mMとしたこと、およびアセトニトリルと重水との体積比(アセトニトリル:重水)を98:2としたことのほかは、実施例1と同様に、該カルボン酸を光脱炭酸反応させ、その重水素化された脱炭酸還元生成物を得た(スキーム5における上の反応式が実施例9、下の反応式が実施例10についてのものである)。反応混合物における重水の濃度、ならびに脱炭酸還元生成物の重水素化率および該重水素化された脱炭酸還元生成物の収率を表3に示した。
【実施例】
【0094】
【化5】
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【実施例】
【0095】
【表3】
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【実施例】
【0096】
以上の実施例により示されるように、本発明の方法によれば、カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を良好な収率で生成させることができる。該重水素化された脱炭酸還元生成物は、高い重水素化率を有し得、実施例1~4により示されるように、溶媒と重水素源との体積比、すなわち重水素源の濃度を調節することで、重水素化率が100%となり得る。また、実施例9、実施例10などにより示されるように、反応物の濃度などの条件を適宜調節することで重水素化された脱炭酸還元生成物の収率は90%以上となり得る。
【実施例】
【0097】
実施例1~10において、カルボン酸のカルボキシル基が4-シアノフェニル基で置換された副生成物の生成は認められなかった。このように、本発明の方法によれば、カルボン酸のカルボキシル基を重水素で置換し、カルボン酸の重水素化された脱炭酸還元生成物を効率的に生成させることができる。
【実施例】
【0098】
フェナントレン、および1,4-ジシアノベンゼンは、実施例5~8において、反応が終了した後、ともに95%の割合で回収することができた。これらはさらなる本発明の方法による光脱炭酸反応に再利用可能なものであった。
【実施例】
【0099】
実施例8において重水素化する対象としたカルボン酸は、2つのカルボキシル基を有し、tert-ブトキシカルボニル基(Boc)でアミノ基が保護されたα-アミノ酸である。かかるα-アミノ酸に本発明の方法を適用した場合、実施例8に示されるように、側鎖のカルボキシル基を重水素で置換することなく、そのα-カルボキシル基だけを選択的に重水素で置換することができ、本発明の効果が特に顕在化する。
【産業上の利用可能性】
【0100】
本発明の製造方法は、重水素標識化合物、重水素化溶媒、重水素化内部標準物質などの重水素化化合物の製造や、医薬、農薬、有機発光材料、有機非線形光学材料などの光学材料といった化学薬品や化学製品などへの重水素の導入のために好適に使用し得る。
【0101】
本発明の製造方法は、重水素標識化合物を提供し得ることから、反応機構や酵素メカニズムの解明、生体内における物質の代謝や薬物動態の解析などに資することが考えられる。また、該重水素標識化合物がアミノ酸類、ペプチド、ヌクレオチド類、またはこれらの誘導体である場合、タンパク質、核酸などの高次構造の解析に資することも考えられる。