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明細書 :脳神経細胞への薬物の標的化剤

発行国 日本国特許庁(JP)
公報種別 特許公報(B2)
特許番号 特許第4945766号 (P4945766)
登録日 平成24年3月16日(2012.3.16)
発行日 平成24年6月6日(2012.6.6)
発明の名称または考案の名称 脳神経細胞への薬物の標的化剤
国際特許分類 A61K  47/48        (2006.01)
A61K  47/42        (2006.01)
A61K  45/00        (2006.01)
A61P  43/00        (2006.01)
FI A61K 47/48
A61K 47/42
A61K 45/00
A61P 43/00 105
請求項の数または発明の数 10
全頁数 19
出願番号 特願2007-556048 (P2007-556048)
出願日 平成19年1月24日(2007.1.24)
国際出願番号 PCT/JP2007/051528
国際公開番号 WO2007/086587
国際公開日 平成19年8月2日(2007.8.2)
優先権出願番号 2006015320
優先日 平成18年1月24日(2006.1.24)
優先権主張国 日本国(JP)
審査請求日 平成21年2月18日(2009.2.18)
特許権者または実用新案権者 【識別番号】504258527
【氏名又は名称】国立大学法人 鹿児島大学
発明者または考案者 【氏名】口岩 聡
【氏名】口岩 俊子
個別代理人の代理人 【識別番号】100091096、【弁理士】、【氏名又は名称】平木 祐輔
【識別番号】100096183、【弁理士】、【氏名又は名称】石井 貞次
【識別番号】100118773、【弁理士】、【氏名又は名称】藤田 節
【識別番号】100120905、【弁理士】、【氏名又は名称】深見 伸子
審査官 【審査官】中尾 忍
参考文献・文献 Zhang,L.C. et al.,The distributions and signaling directions of the cerebrospinal fluid contacting neurons in the parenchyma of a rat brain,Brain Res.,2003年10月31日,Vol.989,No.1,P.1-8
Schwab,M.E. et al.,Selective binding, uptake, and retrograde transport of tetanus toxin by nerve terminals in the rat iris,J. Cell. Biol,1978年 4月 1日,Vol.77, No.1,P.1-13
Alisky,J.M. et al.,Widespread dispersal of cholera toxin subunit b to brain and spinal cord neurons following systemic delivery,Exp. Neurol.,2002年11月,Vol.178, No.1,P.139-146
調査した分野 A61K 47/48
A61K 47/42
A61K 45/00
BIOSIS(STN)
CAplus(STN)
EMBASE(STN)
MEDLINE(STN)
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamII)
特許請求の範囲 【請求項1】
脳神経細胞により取り込まれるエンテロトキシン又はレクチンを含むことを特徴とする、薬物を脳脊髄液から脳神経細胞に取り込ませるための標的化剤であって、該エンテロトキシンが、コレラトキシン(CT)、大腸菌易熱性エンテロトキシン(LT)、大腸菌耐熱性エンテロトキシン(ST)、黄色ブドウ球菌エンテロトキシン(StE)、及びボツリヌス菌エンテロトキシンからなる群より選択され、該レクチンが、ミヤコグサレクチン、ハリエニシダレクチン、ピーナツレクチン、ダイズレクチン、ヒマレクチン、モクワンジュレクチン、インゲンマメレクチン、ドリコスマメレクチン、エンジュマメレクチン、マッシュルームレクチン、タチナタマメレクチン、レンズマメレクチン、エンドウマメレクチン、ソラマメレクチン、コムギ胚芽レクチン、アメリカヤマゴボウレクチン、ジャガイモレクチン、カブトガニレクチン及びイヌエンジュマメレクチンからなる群より選択される、上記標的化剤
【請求項2】
脳神経細胞が、小脳プルキンエ細胞、縫線核ニューロン、大脳皮質ニューロン、視床下部ニューロン、視床ニューロン及び脳幹ニューロンからなる群より選択されるものである、請求項1記載の標的化剤。
【請求項3】
脳神経細胞が、小脳プルキンエ細胞である、請求項1記載の標的化剤。
【請求項4】
脳神経細胞が、縫線核ニューロンである、請求項1記載の標的化剤。
【請求項5】
エンテロトキシン無毒化されている、請求項1~4のいずれか1項に記載の標的化剤。
【請求項6】
脳神経細胞により取り込まれるエンテロトキシンがコレラトキシンBサブユニットである、請求項1~4のいずれか1項に記載の標的化剤。
【請求項7】
脳神経細胞により取り込まれるレクチンがコムギ胚芽凝集素である、請求項1~4のいずれか1項に記載の標的化剤。
【請求項8】
請求項1~のいずれか1項に記載の標的化剤及び薬物を含み、該薬物を脳神経細胞に標的化するための医薬。
【請求項9】
標的化剤と薬物とが直接結合されている、請求項8に記載の医薬。
【請求項10】
脳脊髄液中に投与される、請求項8又は9に記載の医薬。
発明の詳細な説明 【技術分野】
【0001】
本発明は、薬物の標的化剤、具体的には薬物を脳神経細胞に取り込ませるための標的化剤に関する。また本発明は、該標的化剤と薬物とを含む医薬に関する。さらに本発明は、脳神経細胞に薬物を標的化するための方法に関する。
【背景技術】
【0002】
精神活動は、脳内の神経回路網の活動によって営まれているが、その活動の調節には神経伝達物質などの生理活性物質の働きがきわめて重要である。神経伝達物質などの調節が正常に営まれなくなると、さまざまな神経症状が発症する。ドパミンが欠乏するパーキンソン病、アセチルコリンが関係するアルツハイマー病、セロトニンが関係する鬱病などがその例であり、現在多くの脳疾患が神経伝達物質などの調節異常によって引き起こされることが明らかになっている。
神経伝達物質の異常による疾病は、理論的には、神経伝達物質の活動を正常に戻すことにより治癒させることができるものが多いと推察される。しかし、脳には血液脳関門と呼ばれる物質に対するバリア(脳の神経細胞は、血液中から必要な物質だけを選択的に取り込み、不必要な物質又は有害な物質を取り込まない仕組み)が存在するので、服薬や静脈注射で投薬された薬物は、病巣となっている神経細胞集団に到達しないことが多い。たとえば中脳黒質のドパミンが欠乏することにより発症するパーキンソン病では、不足しているドパミンを黒質に補給すれば病状は改善することはわかっているが、ドパミンを投薬しても症状は改善しない。ドパミンのような生理活性物質の多くは血液脳関門を通過しないからである。このように、脳の疾患に対しては、服薬や静脈注射は効果をもたないことが多い。
脳への投薬法には、腰椎穿刺によって脳脊髄液中に直接注射する方法もある。脳と脊髄の表面には脳脊髄液が存在し、脳と脊髄は脳脊髄液に浮かんだ状態で保護されているので、脳脊髄液中に薬液を注射する(腰椎槽からカニューレを挿入し薬液を脳脊髄液中に注入する)ことにより、脳表面や脳室に薬液を浸透させることができる。しかし、脳脊髄液と神経細胞の間にも髄液脳関門と呼ばれるバリアが存在するので、薬物を脳の特定部位に思うように送達することはできない。
したがって、脳の疾患を投薬治療するためには、血液脳関門や髄液脳関門の問題を克服することが必要である。
上述のように、脳疾患に対する薬物治療では、血液脳関門又は髄液脳関門のハードルを克服する必要がある。しかし、薬物が血液脳関門や髄液脳関門を素通りしてしまうと、脳全体に無差別に薬物が浸潤する可能性があり、重大な副作用を発症させる可能性が高い。したがって、脳疾患の治療薬は、病巣となっている神経細胞だけに取り込まれ、それ以外の正常な神経細胞には薬物が到達しないことが望ましい。たとえば、縫線核におけるセロトニン産生量が不足して重い精神症状に悩む患者には、セロトニンを産生する神経細胞群だけにセロトニン合成関連酵素等を取り込ませることが望ましい。また、小脳のプルキンエ細胞の障害により重篤な運動障害に苦しんでいる患者には、プルキンエ細胞だけに目的の薬物を投与することが好ましい。副作用を極力抑制することと、投薬量を正確にコントロールするために、投薬された薬物は目的の神経細胞以外には取り込まれないことが理想である。
上述のように、脳表面と脳室表面には髄液脳関門が存在し、脳脊髄液から神経細胞への自由な物質の流れは抑制されている。したがって脳脊髄液中へ薬物を投与しても治療目的の神経細胞集団に取り込まれることは、期待できないと考えられてきた。しかし、後述するように、本発明者の研究(後述)及び他の研究者の研究により、特定の神経細胞が脳表面又は脳室表面からある特定の物質を取り込み細胞体内に蓄積することが明らかとなっている(非特許文献1:Zhangら,Brain Research,第989巻第1-8頁、2003年)。例えば、脳実質に取り込まれるグリア細胞株由来神経栄養因子(GDNF)を直接脳脊髄液中に注入し、脳実質にGDNFを取り込ませることにより、パーキンソン病の原因となっているドパミン病態を改善させうることが報告されている(非特許文献2:Lapchakら,Brain Research,第747巻第92-102、1997年)。また例えば、ローダミン標識マイクロスフィア、コレラトキシン、及びフルオロゴールドを第三脳室に注入し、縫線核において標識が出現することが報告されている(非特許文献3:Larsenら,Neuroscience,第70巻第963-988、1996年)。しかしながら、このような物質を利用した脳神経細胞群を治療対象とする薬物の送達方法は報告されていない。
【発明の開示】
【0003】
そこで、本発明は、上述した実状に鑑み、脳内の神経細胞集団に目的の薬物を標的化するための有効な手段を提供し、かつ脳神経細胞に関係する疾患又は障害を有効に予防又は治療するための医薬を提供することを目的とする。
本発明者らは、上記課題を解決するため鋭意検討した結果、コレラトキシンBサブユニット(CTB)を実験動物の脳脊髄液中に注射し、該CTBを取り込む神経細胞集団を調査したところ、複数の脳神経細胞集団に該CTBが取り込まれることを確認した。また本発明者らは、このCTB又はコムギ胚芽凝集素(WGA)に酵素を結合させたものを脳脊髄液中に注射し、それらの脳神経細胞中に酵素の取り込みが起こることを確認することができ、このような脳神経細胞に取り込まれる物質を利用することによって目的の物質(薬物)を脳神経細胞に標的化できることを見出し、本発明を完成するに至った。
すなわち本発明は、脳神経細胞により取り込まれる物質を含むことを特徴とする、薬物を脳神経細胞に取り込ませるための標的化剤である。
上記標的化剤に関して、脳神経細胞としては、限定されるものではないが、小脳プルキンエ細胞、縫線核ニューロン、大脳皮質ニューロン、視床下部ニューロン、視床ニューロン及び脳幹ニューロンが挙げられる。
また、脳神経細胞により取り込まれる物質としては、限定されるものではないが、エンテロトキシン類又はレクチン類が含まれる。ここで、エンテロトキシン類は無毒化されていることが好ましい。エンテロトキシン類としては、限定されるものではないが、コレラトキシン(CT)、大腸菌易熱性エンテロトキシン(LT)、大腸菌耐熱性エンテロトキシン(ST)、黄色ブドウ球菌エンテロトキシン(StE)、及びボツリヌス菌エンテロトキシンが挙げられる。また、レクチン類としては、限定されるものではないが、ミヤコグサレクチン、ハリエニシダレクチン、ピーナツレクチン、ダイズレクチン、ヒマレクチン、モクワンジュレクチン、インゲンマメレクチン、ドリコスマメレクチン、エンジュマメレクチン、マッシュルームレクチン、タチナタマメレクチン、レンズマメレクチン、エンドウマメレクチン、ソラマメレクチン、コムギ胚芽レクチン、アメリカヤマゴボウレクチン、ジャガイモレクチン、カブトガニレクチン及びイヌエンジュマメレクチンが挙げられる。
さらに、脳神経細胞により取り込まれる物質としては、次のような物質を使用することも可能である。すなわち、ファーストブルー、ジアミジノイエロー、トゥルーブルー、ニュークリアイエロー、カルボシアニンdiL、diO、diA、蛍光ミクロスフェア類、PKH26、フルオロゴールド、フルオロエメラルド、マイクロルビー、マイクロエメラルド、ローダミンBデキストラン、バイオサイチン、プリムリン、エバンスブルー、プロピディウムアイオダイド、ビスベンチマイド、アルブミン、破傷風毒、西洋ワサビペルオキシダーゼ、及びDAPI(4’-6-ジアミジノ-2-フェニルインドール2HCl)。
脳神経細胞により取り込まれる物質としては、これに限定されるものではないが、コレラトキシンBサブユニット(CTB)及びコムギ胚芽凝集素(WGA)が好適に用いられる。
また本発明は、上記標的化剤及び薬物を含み、該薬物を神経細胞に標的化するための医薬である。
上記医薬において、例えば標的化剤と薬物とは直接結合されている。また、上記医薬は脳脊髄液中に投与されることが好ましい。また上記医薬は、例えばセロトニン調節障害に起因する疾患又は障害を治療又は予防するための医薬とすることができる。
さらに本発明は、上記標的化剤を薬物と結合して医薬を調製し、該医薬を患者の脳脊髄液中に投与することを含む、患者における脳神経細胞に薬物を標的化するための方法である。
本発明により、脳神経細胞への薬物の標的化剤が提供される。本標的化剤は、特定の脳神経細胞集団にのみ目的の薬物を取り込ませることができる。従って、本発明により、脳神経細胞に特異的に薬物を作用させることができ、また他の細胞に対する薬物の作用を低減することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0004】
図1Aは、本発明のヴィークル法と従来のドラッグデリバリーシステムの概要を示す。
図1Bは、脳神経細胞によるヴィークル(及び薬物)の取込み機構を示す。
図2は、縫線核(A)及び小脳皮質のプルキンエ細胞(B)によるヴィークル(CTB)の取込みを示す免疫組織標本写真である。
図3は、縫線核(A)及び小脳皮質のプルキンエ細胞(B)によるCTB-HRPの取込みを示す組織化学標本写真である。
図4は、プルキンエ細胞によるCTB-HRPの取込みを示す顕微鏡写真である。
図5は、縫線核(A)及びプルキンエ細胞(B)によるWGA-HRPの取込みを示す写真である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0005】
以下、本発明を詳細に説明する。本願は、2006年1月24日に出願された日本国特許出願第2006-015320号の優先権を主張するものであり、上記特許出願の明細書及び/又は図面に記載される内容を包含する。
1.ヴィークル法の概要
本発明は、特定の化学物質(ヴィークル)に薬物を結合させた医薬を作製し、脳内の特定の神経細胞集団に該薬物を選択的に取り込ませ治療を行う新たな技術を提供するものである。
本発明者の以前の研究から、脳内のある特定の神経細胞集団には、髄液脳関門が存在しないことがわかっている(これらの細胞群は、神経膠細胞や上衣細胞の壁を突き破って脳表面や脳室表面に神経突起を突出させていると考えられる)。そして、脳脊髄液中に特定の物質を注射すると、脳神経細胞集団によりその特定の物質が取り込まれる。そこで、その特定の物質に任意の薬物を結合させて脳脊髄液中に投与すれば、それらの脳神経細胞集団にのみそれが取り込まれ、その神経細胞体内に選択的に薬物が送達されることが期待できる(図1A及び1B)。すなわち、薬物は、髄液脳関門の存在にも関わらず、脳内に取り込まれ、脳神経細胞集団に標的化されることになる。
薬物の標的化対象となる脳神経細胞は、髄液脳関門をもたない細胞群のみであり、治療の適用範囲は限られる。しかしながら、他の神経細胞には薬物が取り込まれないので、副作用を著しく抑制できる利点がある。脳神経細胞により選択的に取り込まれ、その結果、薬物を神経細胞まで届ける役割を果たす特定の物質を本明細書において「ヴィークル(vehicle)」と呼び、薬物とヴィークルを結合させて作製した医薬を用いて処置する方法をヴィークル法と呼ぶ。
ヴィークル法は、近年開発され実用化が進んでいるドラッグデリバリーシステムとは明瞭に異なる。従来のドラッグデリバリーシステムは、微量の薬物を数十ナノメートル程度の小さなカプセル(ドラッグキャリア)に包み込むなどの加工を行ってそれを癌組織などの標的細胞に選択的に送達したり、抗原抗体反応などの相互作用の機序を利用して標的細胞に選択的に送達するなどのシステムである(図1A参照)。ここで、標的細胞に選択的に送達するために、抗原抗体反応などの相互作用の機序が利用されている。このドラッグデリバリーシステムは、薬物を血管内に投与することが前提であるため、身体に異物と認識されない大きさ、かつ腎臓で濾過されない大きさであることが必要となる。
ドラッグデリバリーシステムのキャリアとして、(1)水溶性の高分子、(2)ナノサイズの微粒子(ナノスフィア)、(3)脂質二重膜でできた小胞(リポソーム)、(4)不均質な構造の高分子を会合させた高分子ミセルなどがある。ドラッグデリバリーシステムは、このドラッグキャリアに薬物を結合させて血管へ投与し循環系を介して患部に到達させ、化学的又は物理的機序を利用して標的細胞に薬物を投与しようとする方法である。
薬物を高分子の化合物に結合させて標的細胞に選択的に薬物を投与するという点では、本発明のヴィークル法はドラッグデリバリーシステムと目的を同一にするものである。しかしながら、ヴィークル法は、循環系へ投与して薬物を運ばせるのではなく、脳脊髄液中に薬物を投与することにより、脳脊髄液中に突起を出している脳神経細胞集団と接触させて、脳神経細胞にヴィークルごと薬物を取り込ませるものである(図1B)。ヴィークル法では、ドラッグデリバリーシステムと異なり、全身に薬物が循環しないので、副作用を最小限に抑えることができる。また、本発明のヴィークル法において、ヴィークルとして使用する物質にはドラッグキャリアのような大きさの制限もなく、また薬物を包み込むカプセル等の加工も必要ない。現在のドラッグデリバリーシステムでは、血液脳関門と髄液脳関門の問題が解決されていないため、脳神経細胞への選択的薬物投与はできないが、ヴィークル法ではその問題が解決される。
2.ヴィークル
本発明においてヴィークル法に使用しうるヴィークルは、毒性がなく(毒性がある場合は毒性を除去すれば使用できる)、脳神経細胞の神経突起から取り込まれて細胞内に蓄積される性質を有する物質である。ヴィークルは長期間細胞内に貯留する物質であることが好ましい。ヴィークルとして使用可能な物質を以下に記載する。
(1)エンテロトキシン類
細菌が産生するタンパク質性外毒素のうち、腸管に作用し、下痢や嘔吐作用を引き起こすもの総称してエンテロトキシン(腸管毒)という。たとえば黄色ブドウ球菌(StE)、コレラ菌(CT)、毒素原性大腸菌(LT及びST)、ボツリヌス菌などが産生する物質である。これらのエンテロトキシン類は、細胞膜に特異的に結合する物質(細胞膜特異結合物質)であり、効率よく神経細胞内に取り込まれうる。したがってエンテロトキシン類のような細胞膜特異結合物質は、ヴィークルとして優秀である可能性が高い。これらのエンテロトキシン類は、無毒化してヴィークルとして用いることができる。例えば、コレラトキシンBサブユニット(List Biochemical Laboratories社より入手可;Coolen et al.,J.Neurosci.Methods 91:1-8,1999)及び易熱性エンテロトキシンBサブユニット(Okado et al.,Neurosci.Lett.120:263-266,1990)の脳神経細胞への取込みが報告されている。黄色ブドウ球菌やボツリヌス菌由来のエンテロトキシンについては、脳神経細胞への取込みに関する報告はないが、コレラトキシンや易熱性エンテロトキシンと同様に腸管壁から取り込まれて神経系を障害する作用機構を有することから、同様に脳脊髄液中に投与した場合に脳神経細胞に取り込まれることが推測できる。
また、コレラトキシン(CT)や易熱性エンテロトキシン(LT)は、毒性をもつAユニットと無毒の細胞結合性Bユニットから構成されている。そのためAユニットを外したBユニットは、無毒であり細胞膜に特異的に結合する性質を有する。このようなエンテロトキシン類の無毒化方法は、当技術分野で周知である。特にコレラトキシンBサブユニットは粘膜免疫における有効なアジュバンドとして知られ、また神経回路研究においてはトレーサーとして使われている物質であるため、好ましいヴィークルである。
(2)レクチン類
レクチンとは、動植物あるいは細菌で見いだされる糖結合性タンパク質の総称であり、細胞膜表面に存在する糖鎖に特異的に結合する性質を有する。神経細胞の表面にも糖鎖が存在するので、神経細胞と結合するレクチンは数多く知られている。それらはいずれもヴィークルとして使用できる可能性が高い。代表的なレクチンを、その入手先と脳神経細胞による取込みについての報告例と共に以下に例示するが、これらに限定されるものではない:
・L-フコース結合レクチン:ミヤコグサレクチン(Lotus)、ハリエニシダレクチン(UEA-1;Ulex europaeus凝集素、Vector Laboratories社より入手可;Coulter et al.,Anatomical Record 196:36A-37A,1980)など;
・D-ガラクトース、N-アセチル-D-ガラクトサミン結合レクチン:ピーナツレクチン(PNA;ピーナツ凝集素、Sigma社より入手可;Coulter et al.,Anatomical Record 196:36A-37A,1980)、ダイズレクチン(SBA;ダイズ凝集素、Vector Laboratories社より入手可;Borges and Sidman,J.Neurosci.2:647-653,1982)、ヒマレクチン(RCA120)、モクワンジュレクチン、インゲンマメレクチン(ホモ四量体E-サブユニットを持つインゲンマメレクチン(PHA-E)及びホモ四量体L-サブユニットを持つインゲンマメレクチン(PHA-L))、ドリコスマメレクチン(DBA;Dolichos bifloris凝集素、Vector Laboratories社より入手可;Borges and Sidman,J.Neurosci.2:647-653,1982)、エンジュマメレクチン(SJA;Sophora japonica凝集素、Vector Laboratories社より入手可;Borges and Sidman,J.Neurosci.2:647-653,1982)、マッシュルームレクチン(ABA)、など;
・D-マンノース結合レクチン:タチナタマメレクチン(コンカナバリンA(ConA);Vector Laboratories社より入手可;Phillipson and Griffiths,Brain Res.265:199-207,1983)、レンズマメレクチン(LCA)、エンドウマメレクチン、ソラマメレクチンなど;
・ジ-N-アセチルキトビオース結合レクチン:コムギ胚芽レクチン(コムギ胚芽凝集素(WGA);東洋紡社より入手可;Gonatas et al.,J.Histchem.Cytochem,27:728-734,1978)、アメリカヤマゴボウレクチン、ジャガイモレクチンなど;
・シアル酸結合レクチン:カブトガニレクチン、イヌエンジュマメレクチン(MAM)など。
たとえばコムギ胚芽レクチンのコムギ胚芽凝集素は、約36,000の分子量をもつタンパク質であり、細胞膜表面の糖タンパク質や糖脂質におけるN-アセチルグルコサミン(N-acetylglucosamine)又はN-アセチルイノラミン酸/シアル酸(N-acetylneuraminic acid/sialic acid)に結合する。細胞膜に結合したコムギ胚芽レクチンは、細胞体内に取り込まれ神経突起内を逆行性に輸送され、細胞体内に蓄積されるので、ヴィークルとして秀でている可能性が高い。
(3)その他の物質
細胞膜と特異的に結合する物質ではなくても、脳神経細胞の突起から取り込まれて輸送され、細胞内に蓄積される物質であれば、ヴィークルとして使用できる。しかし、脳神経細胞の細胞膜に特異的に結合するものではないので、取込量及び輸送量は比較的少ないと考えられる。神経突起から取り込まれて輸送され、脳神経細胞体内に蓄積される物質には以下のものがある:
ファーストブルー(fast blue;Sigma社より入手可;Bentivvoglio et al.,Neurosci.Lett.18:25-30,1980)、ジアミジノイエロー(Diamidino Yellow;EMS-Polyloy社より入手可;Puigdellivo-Sanchez et al.,J.Neurosci.Methods 95:103-110,2000)、トゥルーブルー(true blue;Kirkegaard & Perry laboratories社及びSigma社より入手可;Bentivvoglio et al.,Neurosci.Lett.18:25-30,1980)、ニュークリアイエロー(nuclear yellow;Hoechst社より入手可;Bentivvoglio et al.,Neurosci.Lett.18:25-30,1980)、カルボシアニン類(diL,diO,diAなど;Molecular Probe社より入手可;Vidal-Sanz et al.,Exp.Neurol.102:92-101,1988)、蛍光ミクロスフェア類(Tracer Technology社より入手可;Katz et al.,Nature 310:498-500,1984)、PKH26(Sigma社より入手可;インターネットサイトhttp://www.med.kobe-u.ac.jp/anatol/Lib/Tract_tracing/index.html)、フルオロゴールド(fluoro-gold;Fluorochrome社より入手可;Deng and Rogers,J.Neurosci.Methods 89:75-86,1999)、デキストラン類(例えば、フルオロエメラルド(fluoro-emerald)、マイクロルビー(micro-ruby)、マイクロエメラルド(micro-emerald)、ローダミンBデキストラン等;Molecular Probe社より入手可;Coolen et al.,J.Neurosci.Methods 91:1-8,1999;Phillip and Powley,Autonomic Neuroscience:Basic and Clinical 123:44-53,2005など)、バイオサイチン(biocytin;Molecular Probe社より入手可;Izzo,J.Neurosci.Methods 36:155-166,1991)、プリムリン(primulin;Aldrich Chemical社より入手可;Kuypers et al.,Neurosci.Lett.6:127-135,1977)、エバンスブルー(evansblue;Merck社等より入手可;Kuypers et al.,Neurosci.Lett.6:127-135,1977)、プロピジウムアイオダイド(propidium iodide;Sigma社より入手可;Kypers et al.,Neurosci,Lett.12:1-7,1979)、ビスベンチマイド(bisbenzimide;Hoechst社より入手可;Bentivvoglio et al.,Neurosci.Lett.18:19-24,1980)、アルブミン(Sigma社等より入手可;Kristensson,Acta Neuropathol(Berl)16:293-300,1970)、破傷風毒(Calbiochem社より入手可;Schwab and Agid,Int.J.Neurol.13:117-126,1979)、西洋ワサビペルオキシダーゼ(東洋紡社、Sigma社等より入手可;Kristensson et al.,Brain Res.32:399-406,1971)、DAPI(4’-6-ジアミジノ-2-フェニルインドール2HCl)(Kuypers et al.,Neurosci.Lett.6:127-135,1977)
これらの物質の多くは、脳科学研究分野において神経回路網の研究に使用されており、脳神経細胞突起から取り込まれ細胞体内に蓄積することが明らかになっている(Trojanowsky et al.,J.Neurosci.Methods 9:185-204,1983も参照のこと)。
(4)ヴィークルとしての機能確認
上記例示したヴィークルが脳神経細胞に取り込まれる能力は、当技術分野で公知の手法を用いて評価することができる。例えば、試験対象の物質を、そのまま又は標識して実験動物(マウス、ラットなど)の脳脊髄液に注入し、その試験物質が脳神経細胞により取り込まれるか否かを確認することにより評価することができる。また試験物質の脳神経細胞による取込みは、試験物質に対する抗体、試験物質に付した標識(蛍光標識、放射線標識、西洋ワサビペルオキシダーゼ標識、アルカリホスファターゼ標識など)を利用して検出することができる。さらに、脳神経細胞により取り込まれることが確認された場合には、試験物質を薬物と直接又は間接的に結合させて、それが脳神経細胞により取り込まれるか否かを確認し、該試験物質のヴィークルとしての能力を評価してもよい。これらの操作は当業者であれば容易に実施することが可能である。
(5)標的化剤
本発明に係る標的化剤は、上述の通り脳神経細胞により取り込まれるヴィークルを含むものである。本標的化剤は、ヴィークルの他、薬物と結合させるためのリンカーなどを含んでもよい。本標的化剤は、それに含まれるヴィークルと薬物とを結合させて投与することにより、薬物を脳神経細胞へと標的化することができ、有用である。
本標的化剤により薬物を標的化する対象となる脳神経細胞は、ヴィークルを選択的に取り込む性質を有する脳神経細胞であれば特に限定されるものではない。例えば、脳神経細胞としては、限定されるものではないが、小脳プルキンエ細胞、縫線核ニューロン、大脳皮質ニューロン(大脳新皮質、大脳旧皮質)、視床下部ニューロン、視床ニューロン及び脳幹ニューロンなどが挙げられる。
3.ヴィークルを用いた薬物の標的化
ヴィークルと薬物とを含む医薬は、ヴィークルの脳神経細胞により取り込まれる性質を利用して、該薬物を脳神経細胞に標的化することができる。薬物は、ヴィークルと直接結合してもよいし、又はリンカーなどを介して間接的に結合してもよい。
ヴィークルと薬物を結合させる方法は数多くあり、当技術分野で公知の任意の方法を使用することができる。例えばヴィークルと薬物とを直接結合させる場合には、ヴィークルと薬物に存在するアミノ基、スルフォン基、カルボキシル基などを利用し、ジスルフィド結合やペプチド結合によって両者を架橋しうる。そのような結合方法のうち、有効的かつ実用的と考えられる方法を以下に例示するが、これらに限定されるものではない:
1)ヴィークル又は薬物に結合している糖を過ヨウ素酸で酸化してアルデヒド基を作り、これともう一方のタンパク質のアミノ基を反応させて形成されるシッフ塩基を還元して、複合体とする方法;
2)架橋剤としてピリジル・ジスルフィド化合物を用いる方法。この方法で形成される架橋はジスルフィド結合である;
3)P-ペンゾキノンを架橋剤として使用し、アミノ基を利用して複合体を作製する方法;
4)ヴィークルを還元してチオール基を作り、これを過剰のN,N’-o-フェニレンジマレイミドで処理してマレイミド基を導入し、薬物が持つチオール基と結合させる方法;
5)ヴィークルと薬がもつアミノ基とSH基を利用し、架橋剤を用いて結合させる方法。アミノ基とSH基の架橋剤(Hetero-bifunctional reagents)として、以下のものなどが使用できる:
N-(8-マレイミドカプリルオキシ)スルホスクシンイミド,
N-(4-マレイミドブチリルオキシ)スクシンイミド,
N-(6-マレイミドカプロイルオキシ)スルホスクシンイミド,
N-(4-マレイミドブチリルオキシ)スルホスクシンイミド,
N-(6-マレイミドカプロイルオキシ)スクシンイミド,
N-(11-マレイミドウンデカノイルオキシ)スクシンイミド,
N-(8-マレイミドカプリルオキシ)スクシンイミド,
N-(11-マレイミドウンデカノイルオキシ)スルホスクシンイミド,
N-スクシンイミジル-4-(N-マレイミド)ブチレート,
N-スクシンイミジル-6-(N-マレイミド)ヘキサノエート,
N-スルホスクシンイミジル-4-(N-マレイミドメチル)シクロヘキサン-1-カルボキシレート;
6)グルタルアルデヒド法。ヴィークルと薬物をグルタルアルデヒドで処理し、結合させる方法。
また、ヴィークルと薬物とを間接的に結合させる場合には、適当なリンカー、官能基などを介して両者を結合させることができる。リンカー及び官能基は、薬物の活性に影響を及ぼさないものであれば特に限定されず、そのようなリンカー及び官能基は当業者であれば容易に選択することができる。例えば、投与する薬物を選択し、続いてその薬物と適合可能なヴィークルを選択した後、ヴィークルと薬物とをリンカー又は官能基を介して結合させ、動物モデルに投与して、薬物の活性が保持されているか否かを確認することで、リンカー又は官能基を選択することができる。また、脳神経細胞へ取り込まれた後に、ヴィークルから薬物が遊離するようなプロドラッグの形態をとってもよい。
投与対象となる薬物は、脳神経細胞への標的化が望まれる薬物であれば特に限定されるものではない。また、本発明においては、使用する薬物の大きさに特に制限はない。好ましい薬物を以下に例示する。
(1)縫線核疾患治療薬
縫線核は、不安、うつ、体温調節、睡眠と覚醒、循環器調節、内分泌調節、恐れとストレス、性行動、気分障害などの精神活動に関係していると考えられている。これらの多くは縫線核の神経細胞集団が産生するセロトニン調節と関係していると考えられる。脳内神経伝達物質であるセロトニンの調節障害に起因する疾患(例えば、うつ病、パニック障害、強迫性障害、全般性不安障害、セロトニン症候群など)では、セロトニン関連薬(セロトニン再取込み阻害剤、合成阻害剤、代謝薬など)の投与により症状が改善される場合が多いと考えられ、ヴィークルに結合させたセロトニン関連薬を投与することにより、治療が可能となることが期待できる。具体的には、例えば塩酸イミプラミン、塩酸アミトリプチリン、マレイン酸トリミプラミン、マレイン酸フルボキサミン、塩酸バロキセチン水和物などが挙げられるが、これらに限定されるものではない。これらの薬物とは別に、従来は脳神経細胞に標的化することができなかったために薬物として使用されていないが、標的化が可能であればセロトニン調節に有効な薬物として使用できる化合物が多数存在すると考えられる。従って、そのような化合物も本発明においては薬物として使用することができる。
(2)小脳プルキンエ細胞疾患治療薬
小脳にはいわゆる錐体外路性運動調節の最高中枢が存在し、プルキンエ細胞はその中心の役割を担う細胞である。小脳の障害により、小脳変性疾患、マチャド・ジョゼフ病(MJD:Machado-Joseph)、フリードライヒ失調症(Friedreichataxia)などの治療困難な病気が発症し、振戦、歩行障害、起立障害、ふるえ、めまい、眼球運動障害、自律神経症状、末梢神経症状、錐体外路症状、起立性低血圧など多彩な症状が現れる。小脳プルキンエ細胞の活動に関係する活性物質に関連する薬物をヴィークルに結合させて投与することにより、多くの小脳性運動疾患の治療に途を開くことができる。たとえばグルタミン酸受容体の一種であるmGluR1は小脳プルキンエ細胞に必須な分子であることが最近明らかになったが、この分子の合成や代謝に関係する物質をプルキンエ細胞に選択的に送り込ませることも可能である。
(3)その他の神経細胞集団に対する治療薬
本発明者の研究において、縫線核と小脳プルキンエ細胞の他にも、脳内の数カ所の神経細胞集団がヴィークルを取り込むことが明らかになった。ヴィークル法による治療薬は、これらの細胞集団に対する治療が可能である。将来、これらの神経細胞集団に発症する病的機序(神経伝達物質等の脳内物質異常)が明らかになった場合には、その機序に合わせた治療薬の開発が可能であろう。
上述の通り作製された医薬は、脳脊髄液に投与される。投与方法は、脳脊髄液へ医薬を投与する方法であれば特に限定されるものではないが、例えば腰椎穿刺法を用い、腰椎槽内に注射することができる(髄腔内投与)。腰椎穿刺は一般的に行われている医療行為であり、危険性が少ない。また、脳室穿刺法及び脳室カテーテル法を用いて、例えば頭蓋骨に挿入した注射針若しくはカテーテルから、又は頭蓋骨下に設置されたリザーバーなどから、脳脊髄液へと医薬を投与することができる。さらに、腰椎又は仙椎からカテーテルを入れて脳質付近まで挿管し、医薬を投与することも可能である(経仙骨又は経腰椎カテーテル法)。
本発明に係る医薬は、注射剤の任意の製剤形態(例えば溶液、乳液、懸濁液など)をとることができ、単位投与量アンプル又は多投与量容器の状態で提供することができる。これらの製剤は、医薬において通常用いられる溶剤(蒸留水、滅菌水、整理食塩水など)、界面活性剤、分散剤、緩衝剤、pH調整剤、保存剤、溶解補助剤、吸収促進剤、無痛化剤、安定化剤、等張化剤などを含んでもよい。このような製剤は、当技術分野で公知の方法に従って製造することができる。
本医薬に配合されるヴィークル及び薬物の量は、標的化する脳神経細胞の種類、治療対象の疾患、投与される患者の体重、年齢及び疾患の状態、投与方法及び投与量などに応じて異なるが、当業者であればこれらの要因を考慮した上で適当な配合量を決定することができる。
また、本医薬の有効量(投与量)及び投与間隔は、該医薬に含まれるヴィークル及び薬物の種類、疾患の種類、患者の年齢、体重及び疾患の状態、投与経路、投与回数により異なり、広範囲に変更することができる。
本医薬は、使用する対象(患者)を特に限定するものではない。例えば、哺乳動物、例えばヒト、家畜(ウシ、ブタなど)、愛玩動物(イヌ、ネコなど)、実験動物(マウス、ラット、サルなど)などが挙げられる。特に、脳神経細胞に関連する疾患又は障害を有する患者に使用することが好ましい。
本発明の医薬により、薬物を脳神経細胞へと標的化し、脳神経細胞に特異的に薬物を作用させることができる。従って、他の細胞に対する薬物の作用を低減することができ、副作用を回避することができる。また本発明においては、脳神経細胞に標的化する薬物の大きさに制限がないため、任意の化合物(タンパク質、抗体、高分子化合物など)を薬物として選択することが可能である。
【実施例】
【0006】
以下、実施例を用いて本発明をより詳細に説明するが、本発明の技術的範囲はこれら実施例に限定されるものではない。
〔実施例1〕
本実施例においては、脳脊髄液中にヴィークルを注射することにより、ヴィークルを取り込む神経細胞集団の分布を調査した。これにより、標的化対象となる脳神経細胞集団が特定された。
(1)実験手順
ヴィークルをラットの脳脊髄液中に注射し、数日間生存させた後、脳の組織標本を作製して脳内のヴィークルを取り込んだ細胞の分布を詳細に調査した。ヴィークルには、コレラトキシンBサブユニット(CTB:cholera toxin B-subunit)を使用した。
以下、実験手順を具体的に説明する。ラットをペントバルビタールを用いて全身麻酔した。ラットの頭部を脳定位固定装置に固定し、無菌的に頭部皮膚を切開し、注射針を刺入するための直径2mmほどの穴を歯科用ドリルを用いて頭蓋骨に開けた。穴の位置は、イヤバー(ear bar)を基準にした脳地図のゼロ点から計測して(前方8mm、外側3mm)、(前方5mm、外側3mm)、(前方3mm、外側1.5mm)、(前方8mm、外側1.5mm)、及び(前方5mm、外側1.5mm)のうちのいずれか一カ所とした。脳定位固定装置に装着したハミルトンマイクロシリンジを頭蓋骨の穴から垂直に刺入し、頭蓋底のクモ膜下腔に針の先端を進入させ、そして10分以上の時間をかけて脳脊髄液中に合計3μl又は5μlの2.5%CTB水溶液を注射した。注射後、ゆっくりと注射針を抜き、切開した頭部皮膚を縫合した。
手術後ラットを3日から7日間飼育したのち、麻酔薬を過剰投与して安楽死させた。ラットの胸郭を開放し、心臓に点滴針を刺入し、生理食塩水を流して血液を洗い、引き続いてリン酸緩衝液で調整した4%パラフォルムアルデヒドと0.2%ピクリン酸混合固定液を用いて灌流固定を行った。固定後、脳を摘出し、30%リン酸緩衝蔗糖液を3日間、脳に浸潤させた。
浸潤終了後、脳を凍結ミクロトーム上で凍結し、40μm凍結連続前頭断切片を作製した。切片は過酸化水素水とヤギの血清で処理したあと抗コレラトキシン抗体(List Biochemical Laboratories)を用いて3日間冷蔵庫中で処理し、抗原抗体反応を行った。そして切片をリン酸緩衝生理食塩水で十分に洗浄した後、二次抗体(ヤギ抗ウサギIgG)で1日間冷蔵庫中で処理した。次に切片をよく洗浄し、ウサギPAP(ペルオキシダーゼ・抗ペルオキシダーゼ)を用いてペルオキシダーゼ標識し、ジアミノベンチジン(DAB)で呈色反応を行ってコレラトキシン免疫陽性細胞を可視化した。切片をスライドグラスに載物したのち、チオニンを用いたNissl染色を施した。完成した標本は光学顕微鏡を用いて観察し、CTB免疫陽性物質の分布を各実験例ごとに詳細に調査を行った。
(2)結果
免疫組織化学標本において、CTB免疫活性は脳表面の軟膜と神経膠細胞及び脳室表面の上衣細胞に認められた。脳表面及び脳室表面からの非特異的な浸潤像は脳の全ての部位において観察されなかった。したがって、CTBは脳表面及び脳室表面から無条件に浸潤しないと結論された。
脳表面及び脳室表面から離れた実質内において、非常に顕著な取り込みを起こした神経核又は部位は以下の2つであった:
1.縫線核
2.小脳プルキンエ細胞層
これらの神経核又は神経細胞集団では、あらゆる実験例において非常に安定した標識が観察された(図2A及びB参照)。縫線核では、標識細胞からのびる突起が脳室表面に到達している像が観察された(図2A)。図2Aに示されるように、縫線核中の神経細胞集団が茶色に着色されているが、これはこれらの細胞がヴィークルを細胞内に取り込んだことを示す。青く染色された細胞はヴィークルを取り込んでいない。これは、ヴィークルが上衣細胞によって脳実質内に無差別に浸潤せず、特定の細胞だけに取り込まれたことを示している。
小脳では分子層全体とプルキンエ細胞が標識された(図2B)。ヴィークルの局在を示す茶色の粒子は、分子層とプルキンエ細胞層に特に限局的に観察された。小脳の標識は、主としてプルキンエ細胞とその樹状突起が標識されたものと考えられた。以上の観察所見から、CTBが脳室表面又は小脳表面から取り込まれ、神経突起内を運ばれて縫線核の神経細胞及びプルキンエ細胞に蓄積されたと判断された。
上記2つの神経細胞集団以外にCTBの取込を認めた細胞群は、以下の通りだった:
3.大脳新皮質
4.大脳旧皮質(中隔核、対角帯、海馬など)
5.視床下部(弓状核、灰白隆起、乳頭体など)
6.視床(視床前核群など)
7.脳幹(上オリーブ核、黒質、腹側被蓋野など)
以上の結果から、CTBは脳表面及び脳室表面から無条件に脳内に浸潤することはなく、髄液脳関門を持たない細胞だけに取り込まれると考えられた(図1A及びB参照)。これらの神経細胞集団は、縫線核と小脳プルキンエ細胞層の他にも脳内の数カ所に分布していた。したがって、CTBはこれらの神経細胞集団が病巣となっている疾患に対してヴィークルとして使える可能性が強く示唆された。クモ膜下腔への注射によって脳室内にCTB活性が証明できたことは、薬液が髄液の流れに逆らって脳室内に浸潤したことを示している。このことは、髄液中であればどこに注射しても、脳表面又は脳室表面からヴィークルが取り込まれることを示している。
〔実施例2〕
実施例1においては、ヴィークルを取り込む神経細胞集団が特定された。従って、本実施例においては、ヴィークルに結合させた薬物がそれらの神経細胞集団に実際に取り込まれることを確認した。
(1)実験手順
実施例1の結果から、脳脊髄液中にヴィークルに結合させた薬物を注射することにより、その薬物が選択的に標的の細胞集団(小脳プルキンエ細胞層、縫線核など)に運ばれることが予測できる。この現象が実際に起こることを証明する目的で、CTBに西洋ワサビペルオキシダーゼ(horseradish peroxidase:HRP)を結合させた化合物(CTB-HRP)をラットのクモ膜下腔に注射した。HRPは組織学的研究などで標識物質として多用されている化合物であり、細胞中のHRPは組織化学的に検出することが容易である。
実施例1と同様にラットを麻酔し、脳定位固定装置に頭部を固定して手術を行った。注射部位は実施例1と同じであるが、CTB-HRP(List Biochemical Laboratories)投与量は1個体あたり5μlから30μlとした。注射後、動物を3日間から5日間生存させたあと、麻酔薬の過剰投与により安楽死させた。動物を1%パラフォルムアルデヒドと1.25%グルタルアルデヒド混合リン酸緩衝液で灌流固定を行ったあと、脳を摘出した。脳は30%リン酸緩衝蔗糖液に浸潤した後、40μm凍結連続前頭断切片を作製した。HRPを含む細胞の局在は、テトラメチルベンチジン法(TMB)法を用いて調査した。またCTBの局在を実験1と同様に免疫組織化学的に調査し、HRP活性の局在と比較した。
(2)結果
TMB法を用いた組織化学標本では一般の色素を用いた対比染色を行っていないため、神経細胞を顕微鏡下に見ることはできない。この標本で観察できるのはHRP標識顆粒であり、その分布局在を観察することにより、標識された細胞の存在を確認することができる。
図3A及びBは、くも膜下の脳脊髄液中にCTB-HRPを注射したラットにおける組織化学標本の写真である。図3Aは、脳室下に位置する縫線背核を含む領域におけるHRP標識顆粒の分布を示している。HRP標識顆粒が神経細胞の細胞体及び樹状突起に一致して密に存在し、細胞輪郭を浮き上がらせている。この標識像から縫線背核の細胞群が特異的に標識された事は明瞭である。すなわち、この実験結果は、CTBに結合されたHRPがCTBとともに縫線背核を構成する神経細胞中にその活性を失うことなく運ばれたことを証明している。図3Bは、同実験における小脳皮質の顕微鏡写真である。HRP標識顆粒は、小脳皮質の分子層からプルキンエ細胞層にかけて分布している。プルキンエ細胞層では標識顆粒が特に密集し、不明瞭ではあるが細胞体の輪郭を観察することができる。HRP標本の不明瞭さを補足する目的で隣接切片に対してCTB免疫組織化学を施行した。図4は、その顕微鏡写真である。CTB標識顆粒は分子層からプルキンエ細胞層に局在し、プルキンエ細胞層の細胞像をより明瞭に表している。すなわち、小脳のプルキンエ細胞層へもHRPが活性を失うことなく運ばれたことが示された。
本実施例では、実際にCTBに結合されたHRPが小脳プルキンエ細胞層や縫線核に活性を失うことなく運ばれることが証明された。HRPは単独でも神経細胞に取り込まれ輸送されて細胞内に蓄積されるが、微量の注射では、標識が出現する程度の取込みは確認されていない(本発明者による対照実験の結果。データは示さない)。よって、この実験で出現したHRP標識活性は、CTBによって標的化されたHRPによるものである。この実験により、CTBはヴィークルとしての役目を果たす物質であることが証明された。したがってHRPにかえてさまざまな薬物をCTBに結合させて医薬を作製することができる。
〔実施例3〕
本実施例においては、他のヴィークル候補の化合物も薬物の選択的取込に有効であることを確認した。
(1)実験手順
実施例1及び2においてコレラトキシンBサブユニット(CTB)がヴィークルとして有効な物質であることを証明したが、他のヴィークル候補であるレクチン系の化合物も同様に物質輸送に効果的であることを実験を行い証明した。ヴィークルとしてコムギ胚芽凝集素(WGA)を用いた。
ラットを実施例1と同様に麻酔し、脳定位固定装置に固定し、実施例1と同じ頭蓋骨の部位に歯科用ドリルを用いて穴を開けた。脳定位固定装置に固定したマイクロシリンジを用いて、WGAにHRPを結合させた物質(WGA-HRP、TOYOBO;架橋法にて調製)2mgを蒸留水に溶解し、クモ膜下腔に注射した。注射後、無菌的に頭部の傷を処置し、3日から5日間動物を飼育した。飼育期間満了後、動物に麻酔薬を過剰投与して安楽死させ、心臓から生理食塩水を流して血液を除去したあと、1%パラフォルムアルデヒドと1.25%グルタルアルデヒドの混合リン酸緩衝溶液(pH7.4)で灌流固定を行った。固定後、動物から脳を摘出し、30%リン酸緩衝蔗糖液に浸潤し、凍結ミクロトームを用いて40μm連続凍結前頭断切片を作製した。そして切片をテトラメチルベンチジン(TMB)法を用いて反応を行い、光学顕微鏡下にHRP陽性顆粒の分布を調査した。
(2)実験結果
この実験では、実施例2と同様、対比染色を行っていないので、光学顕微鏡下に観察できるのはHRP陽性顆粒である。HRP陽性顆粒は小脳皮質の分子層からプルキンエ細胞層にかけての領域と、中脳水道の下方の縫線核に特に密に分布していた(図5A及びB)。このことは、くも膜下の脳脊髄液中に注射されたHRPはWGAとともに小脳プルキンエ細胞及び縫線核の神経細胞群に取り込まれたことを示す。すなわち、WGAもCTBと同様に、薬物を目的の神経細胞に運ぶヴィークルとしての役割を効果的に果たすことができる物質であることが証明された。
本明細書中で引用した全ての刊行物、特許及び特許出願は、その全文を参考として本明細書中にとり入れるものとする。
【産業上の利用可能性】
【0007】
本発明により、脳神経細胞への薬物の標的化剤が提供される。本標的化剤は、特定の脳神経細胞集団にのみ目的の薬物を取り込ませることができる。従って、本発明により、脳神経細胞に特異的に薬物を作用させることができ、また他の細胞に対する薬物の作用を低減することが可能となる。
図面
【図1A】
0
【図1B】
1
【図2】
2
【図3】
3
【図4】
4
【図5】
5