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明細書 :量子カスケードレーザー素子

発行国 日本国特許庁(JP)
公報種別 特許公報(B2)
特許番号 特許第5544574号 (P5544574)
公開番号 特開2013-033867 (P2013-033867A)
登録日 平成26年5月23日(2014.5.23)
発行日 平成26年7月9日(2014.7.9)
公開日 平成25年2月14日(2013.2.14)
発明の名称または考案の名称 量子カスケードレーザー素子
国際特許分類 H01S   5/343       (2006.01)
FI H01S 5/343
請求項の数または発明の数 4
全頁数 21
出願番号 特願2011-169455 (P2011-169455)
出願日 平成23年8月2日(2011.8.2)
審査請求日 平成26年1月29日(2014.1.29)
特許権者または実用新案権者 【識別番号】503359821
【氏名又は名称】独立行政法人理化学研究所
発明者または考案者 【氏名】平山 秀樹
【氏名】林 宗澤
早期審査対象出願または早期審理対象出願 早期審査対象出願
個別代理人の代理人 【識別番号】100130960、【弁理士】、【氏名又は名称】岡本 正之
審査官 【審査官】吉野 三寛
参考文献・文献 米国特許出願公開第2003/0219052(US,A1)
KUMAR, Sushil et al.,186 K operation of terahertz quantum-cascade lasers based on a diagonal design,APPLIED PHYSICS LETTERS,2009年 4月 1日,Vol. 94,p. 131105
SUNA, Greg et al.,Active region design of a terahertz GaN/Al0.15Ga0.85N quantum cascade laser,Superlattices and Microstructures,2004年10月22日,Vol. 37,p. 107-113
BELLOTTI, Enrico et al.,Monte Carlo simulation of terahertz quantum cascade laser structures based on wide-bandgap semicondu,JOURNAL OF APPLIED PHYSICS,2009年 6月 2日,Vol. 105,p. 113103
加賀屋弘子・相馬俊信,III-V,III-VI半導体化合物の結合力とフォノン分散曲線,物性研究,1984年 3月20日,Vol. 41, No. 6,p. 457-472
HOLTZ, M. et al.,Pressure dependence of the optic phonon energies in AlxGa1-xAs,PHYSICAL REVIEW B,1996年 9月15日,Vol. 54, No. 12,p. 8714-8720
調査した分野 H01S 5/00-5/50
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
特許請求の範囲 【請求項1】
一対の電極と該一対の電極に挟まれている半導体超格子構造とを備える量子カスケードレーザー素子であって、
該半導体超格子構造は、前記一対の電極間に電圧が印加された際にTHz領域の電磁波を放出する活性領域を備えており、
該活性領域は、交互に積層されたウェル層とバリア層をいくつか含むある厚みの単位構造を該厚みの向きに繰り返して有しており、
該ウェル層は、AlAsとGaAsとの混晶であるAlGa1-xAs(ただし、0<x<1)からなるものであり、
前記半導体超格子構造の材質は、前記半導体超格子構造の内部に励起されうる縦光学フォノンのエネルギーELOが、上位レーザー準位の最小エネルギー値Eと下位レーザー準位の最小エネルギー値Eとの差であるE32との間で、前記電圧が印加された際に、
LO>kT+E32
を満足する材質とされており、
前記半導体超格子構造は、下位レーザー準位の最小エネルギー値Eと引き抜き準位の最小エネルギー値Eとの差であるE21が、前記電圧が印加された際に、
21<ELO
をさらに満足するように構成されている、ただし、Tは動作温度(単位K)、kはボルツマン定数である、
量子カスケードレーザー素子。
【請求項2】
前記半導体超格子構造の材質は、前記電磁波を放出する動作時の電圧が印加された際に、
LO>kelectron+E32
ただし、Telectronは電子温度(単位K)
を満足するように決定されており、
これにより、前記上位レーザー準位において熱励起された電子が、縦光学フォノンとの間における電子-フォノン散乱により媒介されて前記上位レーザー準位から前記下位レーザー準位へと非発光遷移する確率が低減されている
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項3】
前記半導体超格子構造の内部に励起されうる縦光学フォノンのエネルギーである前記ELOが、該半導体超格子構造の前記ウェル層がGaAsから構成されている場合の縦光学フォノンのエネルギーに比べて大きな値である
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項4】
前記半導体超格子構造が、AlAsからなるエネルギーバリア層
を有するものである
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
発明の詳細な説明 【技術分野】
【0001】
本発明は量子カスケードレーザー素子に関する。さらに詳細には、本発明は、テラヘルツ領域の電磁波を放出する量子カスケードレーザー素子に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、中赤外領域やテラヘルツ(THz)領域の電磁波を放出する固体光源として、量子カスケードレーザー(Quantum Cascade Laser、以下「QCL」という)が注目を集めている。特にTHz領域の電磁波は、光と電波の両方の性質を兼ね備えており、例えば光のもつ高い解像度と、電波のもつ高い透過性とを兼ね備えるとともに、X線などに比べ照射された対象物への影響が少ないという特徴を有している。これらから、THz領域の電磁波は、例えば透過による物質の特定や人体の透視検査といった用途への適用が期待されている。
【0003】
QCLの放出機構は、典型的には、半導体超格子構造を利用し、例えばウェル(井戸)およびバリア(障壁)の繰り返しの構造を持たせた電子の伝導帯のみのポテンシャルを利用するものである。つまり、QCLでは、半導体超格子構造により生成されたサブバンド間の遷移(intersubband transition)により誘導放出(stimulated emission)を起こさせる。この点で、伝導帯と価電子帯との間のエネルギーギャップを跨いで電子とホール(hole)の再結合により電磁波を誘導放出させる従来の半導体レーザーの放出機構とQCLの放出機構は大きく異なる。より具体的には、QCLでは、半導体超格子構造のウェルおよびバリアのポテンシャルを利用し、さらに電圧を印加することにより、そのウェルとバリアの凹凸を有するポテンシャルを半導体超格子構造の厚みの位置に応じ傾斜させる。そして、傾斜して並ぶ凹凸のポテンシャルを利用し、電子の誘導放出を多段階につまりカスケード状に生じさせる。このような遷移を起こさせる半導体超格子構造を実現するためには、電界による傾斜を考慮しウェル層やバリア層の厚みを精密に設計する、バンドの作り込み(band engineering)が必要となる。QCLにおいては、キャリア(電子)が繰り返し誘導放出に利用されるため、キャリアリサイクリングが可能となる。
【0004】
QCLにおいては、半導体超格子構造をなす材質のエネルギーギャップと無関係な波長を選択しレーザー発振させること(lasing)が可能となり、そして、そのレーザー波長(lasing wavelength)は半導体超格子構造の設計(design)により変更することができる。これらの理由から、これまで固体光源が得られていない波長域であるTHz領域における電磁波の放出がQCLにより実現されている。THz領域のQCL(以下、「THz-QCL」という)は、レーザー発振のための反転分布を実現する方式によりいくつかのタイプに分けられる。THz-QCLの一例は、孤立した準位から連続的になっているミニバンドへ遷移する電子が電磁波を放出する、bound-to-continuumタイプと呼ばれるものである。このタイプのTHz-QCLとして、ミニバンドにおける電子-電子散乱によりレーザー下位準位の電子を緩和させて反転分布が形成され、3.65GHzの発振周波数にて動作するものが開示されている(非特許文献1)。ただし、そのbound-to-continuumタイプのTHz-QCLは、電圧効率が良いものの、設計が複雑であり、LOフォノンの散乱による悪影響が大きく現われる。
【0005】
別のタイプのTHz-QCLが特許文献1(米国特許第6829269号明細書)に開示されている。特許文献1に開示されるTHz-QCLでは、1段階分の誘導放出において3つの電子のエネルギー準位が利用される。すなわち、レーザー発振のために必須となる上位レーザー準位(upper lasing level)と下位レーザー準位(lower -)との間の反転分布を実現するために、もう一つの電子準位が利用される。特許文献1のTHz-QCLは、誘導放出に関連する上位レーザー準位(|3>、本明細書において「準位L3」という)と下位レーザー準位(|2>、同「準位L2」)と、準位L2よりさらに下位に位置する準位(|1>、同「準位L1」)とを用いる。準位L1は、縦光学フォノン(以下、「LOフォノン」という)を利用して準位L2から電子を引き抜く(depopulation)作用を有している(特許文献1、FIG3等)。以下、この3準位系の方式をLOフォノン散乱アシストタイプと呼ぶ。
【0006】
LOフォノン散乱アシストタイプのTHz-QCLとして、特許文献1には、誘導放出に関与する活性領域に、1段階分の誘導放出を生じさせるための構造(以下、単に「単位構造」という)を繰り返し配置する半導体超格子構造が開示されている。その単位構造は発光領域と注入領域を含んでいる。その単位構造におけるポテンシャルエネルギーつまりバンドは、発光領域においては発光効率が高まるように作り込まれているのに対し、注入領域においては反転分布の形成を助けるように作り込まれている。これらの設計を実現するために、LOフォノン散乱アシストタイプのTHz-QCLにおける活性領域は、ウェル層がGaAsにより、バリア層がAlGa1-xAsにより作製されている。

【先行技術文献】
【0007】

【特許文献1】米国特許第6829269号明細書
【0008】

【非特許文献1】G. Scalari, N. Hoyler, M. Giovannini, and J. Faist, Appl. Phys. Lett. No.86, 181101 (2005)
【非特許文献2】S. Kumer, Q. Hu, and J. Reno, Appl. Phys. Lett. No.94, 131105 (2009)
【非特許文献3】T. T. Lin, K. Ohtani, and H. Ohno, Applied Physics Express, No.2, 022102 (2009)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
THz-QCLのうち、特許文献1に開示される上記LOフォノン散乱アシストタイプのものは良好な性能を示している。例えば、THz-QCLでは比較的高温といえる186Kでのレーザー動作が実現された事例もLOフォノン散乱アシストタイプにおいて報告されている(非特許文献2)。また、LOフォノン散乱アシストタイプは、比較的シンプルな半導体超格子構造を有している。
【0010】
しかしLOフォノン散乱アシストタイプのTHz-QCLにはいまだ改善の余地が残されている。レーザー動作が実現される最高温度(以下、「最高動作温度(maximum operation temperature)Tmax」という)が186Kにとどまる限り、レーザー動作のための冷却装置が大がかりなものとなる。この最高動作温度Tmaxを230Kまたはそれ以上にできれば、ペルチェ素子などによる冷却(電子冷却)によるレーザー動作が可能となるため、THz-QCLの実用性が大幅に向上する。なお、最高動作温度Tmaxを高温化したQCLは、通常、その最大値より低い動作温度におけるレーザー発振のための電流密度の閾値(以下、「閾値電流密度(threshold current density)Jth」という)も低減される。
【0011】
本発明はこのような問題を解決するためになされたものである。すなわち本発明は、THz-QCLの閾値電流密度Jthを低減するか、またはTHz-QCLの最高動作温度Tmaxを高めることにより、THz-QCLを採用する各種の用途の実用化に貢献するものである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本願の発明者らは、動作温度の上昇に直結するレーザー発振の閾値電流密度Jthが低減され、最高動作温度Tmaxを高めることが可能なTHz-QCLの構成を設計し、理論的な数値計算(理論計算)に基づきその特性を予測した。そして、バリア層の材質を、これまで用いられていたGaAsのみから他の材質に変更することにより、その理論計算に合致する特性が実現されることを実験により確認した。さらに、本願の発明者らは、その理論計算に基づく知見として、ウェル層の材質をGaAsのみから他の材質に変更することにより、THz-QCLの閾値電流密度Jthを低減するか、またはTHz-QCLの最高動作温度Tmaxを高めることが可能となることを見出し、本発明を創出するに至った。
【0013】
すなわち、本発明のある態様においては、一対の電極と該一対の電極に挟まれている半導体超格子構造とを備える量子カスケードレーザー素子であって、該半導体超格子構造は、前記一対の電極間に電圧が印加された際にTHz領域の電磁波を放出する活性領域を備えており、該活性領域は、交互に積層されたウェル層とバリア層をいくつか含むある厚みの単位構造を該厚みの向きに繰り返して有しており、該ウェル層は、AlAsとGaAsとの混晶であるAlGa1-xAs(ただし、0<x<1)からなるものである、量子カスケードレーザー素子が提供される。
【0014】
本出願全般に、THz領域の電磁波とは、概ね、0.1THz~30THzの周波数範囲すなわち10μm~3mm程度の波長範囲の電磁波をいう。また、本出願の説明には、本出願にかかる発明の属する技術分野の慣例に従い、可視光や赤外線を対象とする光分野から転用され、または借用される技術用語を用いて、素子構造や機能を説明することがある。このため、発生される電磁波は可視光から遠く離れた周波数域または波長域のものであるが、それを生成する量子カスケードレーザーの素子や誘導放出の現象を示すために「レーザー」や「発光」との用語を用いることがあり、また、「光-」(optical -)などの用語も用いる場合がある。
【発明の効果】
【0015】
本発明のいずれかの実施形態により、これまで以上に閾値電流密度Jthが低減されるか、または、最高動作温度Tmaxが高められたTHz-QCLが提供される。これにより、THz領域の電磁波の発生源を利用する機器の発展に寄与する。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】本発明のある実施形態のTHz-QCL素子の構成の概要を示す斜視図(図1(a))、拡大断面図(図1(b))およびさらなる部分拡大断面図(図1(c))である。
【図2】本発明のある実施形態におけるTHz-QCL素子に形成されるQCL構造の単位構造における電子に対するポテンシャルおよび電子のサブバンドを説明するため説明図である。
【図3】本発明のある実施形態における熱励起電子のフォノン媒介リークを示す説明図である。
【図4】本発明のある実施形態におけるサーマルバックフィリングを説明する説明図である。
【図5】xy面でのエネルギー分散関係の説明図である。図5(a)は従来のエネルギー分散関係を示し、図5(b)は本実施形態のエネルギー分散関係を示す。
【図6】電子の緩和機構を説明するエネルギーチャートである。
【図7】本発明のある実施形態において、活性領域の組成を変更した場合の閾値電流密度Jthの数値計算結果の詳細なグラフである。
【図8】本発明のある実施形態において、数値計算結果から読み取った最高動作温度Tmaxの組成依存性を示すグラフである。
【図9】本発明のある実施形態におけるTHz-QCL素子の作製時の各時点における素子構造の概略図である。
【図10】本発明のある実施形態におけるTHz-QCL素子の作製時の各時点における素子構造の概略図である。
【図11】本発明のある実施形態におけるTHz-QCL素子の活性層のウェル層/バリア層の組成GaAs/AlGa(1-x)Asにおいて、x=0.15としたサンプルを実際に動作させた際の電流放出特性(図11(a))と、放出される電磁波のスペクトル(図11(b))である。
【図12】本発明のある実施形態において、アルミニウムの組成比xを変更して作製したGaAs/AlGa(1-x)Asの構成の実施作製例のサンプル(exp.)の特性と理論計算(sim.)の結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0017】
以下、本発明の実施形態について説明する。以下の説明に際し特に言及がない限り、全図にわたり共通する部分または要素には共通する参照符号が付されている。また、図中、各実施形態の要素のそれぞれは、必ずしも互いの縮尺比を保って示されてはいない。

【0018】
<第1実施形態>
[1 THz-QCL素子の動作とその改良]
まず、THz領域の電磁波を放出するLOフォノン散乱アシストタイプの量子カスケードレーザー素子(THz-QCL素子)の動作原理と本実施形態における改良の原理を説明する。

【0019】
[1-1 THz-QCLの動作原理]
図1は、本実施形態のTHz-QCL素子1000の構成の概要を示す斜視図(図1(a))、拡大断面図(図1(b))およびさらなる部分拡大断面図(図1(c))である。典型的なTHz-QCL素子1000(図1(a))は、概して、一対の電極20、30と、その間に形成された半導体超格子構造であるQCL構造100とにより構成されている。電極20、30は、QCL構造100に対し電界を形成するための電圧と放出(発光)のための電流とを受けるために利用される。また、電極20、30は、表面プラズモンによるキャビティ構造を利用する光閉じ込めの作用をも発揮する。QCL構造100は活性領域10を備えている。THz-QCL素子1000は、一対の電極20、30の間に電圧が印加された際に活性領域10に形成される一のサブバンドからそれより下位のエネルギーを有する別のサブバンドに電子が遷移することによりTHz領域の電磁波2000を放出するように動作する。図1のTHz-QCL素子1000は、レセプター基板40(以下、「レセプター40」という)に電極30が形成されている。


【0020】
活性領域10(図1(b))は、上記動作のために、交互に積層されたウェル層10Wおよびバリア層10Bをいくつか含むある厚みの単位構造10Uをその厚みの向きに繰り返し有している。このうち、ウェル層10Wは、AlGa1-xAs(ただし、0<x<1)からなり、バリア層10Bは、本実施形態においては、AlAsとGaAsとの混晶であるAlGa1-yAs(ただし、x<y≦1)からなる。ここで、x<yとすることにより、バリア層10Bの伝導帯(conduction band)の作るポテンシャルがウェル層10Wの伝導帯に対するポテンシャルのバリアとなる。なお、単位構造10Uそれぞれには複数のウェル層10Wおよびバリア層10Bが含まれている。このため、必要に応じ個別のバリア層10Bを区別する場合には、基板50側から順にバリア層10B1~10B5と区別する。ウェル層10Wについても同様に、ウェル層10Wをウェル層10W1~10W4と区別する。


【0021】
QCL構造100(図1(a))は、半導体超格子構造100A(図1(b))の層構造の広がりの外形をトリミングし形成される。半導体超格子構造100Aにおいて、(001)面方位のGaAs基板50(以下「基板50」と記す)には後述するAlGaAsを600nm積層したエッチングストッパー層60(「ES層60」)が形成される。そして、ES層60の面に接して高ドープn型GaAs層120(電子密度約3×1018cm)が800nm厚に形成され、さらに、活性領域10が形成されている。そして、形成された活性領域10の面には、高ドープn型GaAs層140(電子密度約3×1018cm)が50nm厚に形成される。そして、1nm厚GaAs層とSiのδドープ層の組合せ10セットからなるδドープGaAs層160が形成され、最後に、5nmの低温成長させたGaAs層(LTG-GaAs層)180が形成される。なお、図1(b)は、成膜時に基板50の一方の面に積層される膜構成を積層順に紙面の下方から並べ示している。図1(b)に記載の半導体超格子構造100Aは図1(a)のQCL構造100と上下反転した関係に示されている。


【0022】
QCL構造100の活性領域10は、従来のTHz-QCL素子(図示しない)では、ウェル層10WがGaAs、バリア層10BがAlGa1-xAs(xは、例えば0.15または0.20)により形成される(例えば、特許文献1、第31欄)。これに対し、本実施形態のTHz-QCL素子1000では、ウェル層10WにもAlを添加し、AlGa1-xAs(0<x<1)とし、バリア層10BはAlGa1-yAs(x<y≦1)とする。

【0023】
図1(b)に示す半導体超格子構造100Aにおいて、単位構造10Uは、活性領域10に例えば10~200層程度繰り返し形成されている。各単位構造10Uの1単位分(1周期分)の構造を拡大して示すのが図1(c)である。THz-QCL素子1000の活性領域10においては、175層の単位構造10Uが含まれている。単位構造10Uにおいては、バリア層10Bとウェル層10Wが交互に積層されている。バリア層10Bとウェル層10Wが交互に積層されているため、バリア層10B1に接してウェル層10W1が配置され、ウェル層10W1に接しバリア層10B2が配置される。以下同様である。なお、バリア層10B5は、次の周期の単位構造10Uのバリア層10B1となる。

【0024】
図2は、THz-QCL素子1000に形成されるQCL構造100の単位構造10Uにおける電子に対するポテンシャルおよび電子のサブバンドを説明するため説明図である。図2(a)は電子に対するポテンシャルのZ軸方向の変化である。動作時にTHz-QCL素子1000に印加される電圧のためにポテンシャルは全体に傾斜している。ポテンシャルの各凸部および凹部には、図1(c)に示した単位構造10Uの各層と対応させる符号を付している。また、図2(b)は、単位構造10Uにおける電子のエネルギー準位を、xy面(図1)の面内の波数k空間に対して示す分散関係(dispersion relationship)の説明図である。


【0025】
図2(a)には、ポテンシャルに加え、電子の3次元的な波動関数Ψのうち、z成分の因子のみの振幅を2乗した値|Ψ|を5本の曲線により図示している。各曲線は、自己無撞着計算法(self-consistent calculation)により求めた波動関数Ψから算出されたz軸方向の各位置における電子の存在確率の相対的な値を表している。図示した5本の曲線は、準位L3に対応する1本の曲線|Ψ、準位L2および準位L1それぞれに対応する曲線|Ψおよび曲線|Ψである。準位L2および準位L1のための曲線が2本ずつ示されているのは、エネルギー値が互いに縮退した波動関数が各2つ存在するためである。ここで、準位L1~L3の電子は、xy面(図1)の面内の波数k空間について見ると、図2(b)に示すエネルギー分散関係を有している。準位L3および準位L2は、上位レーザー準位および下位レーザー準位であり、準位L1は、引き込み準位である。なお、図2(a)の各曲線|Ψ、|Ψおよび|Ψの紙面上の高さは、各曲線の|Ψ|=0を示す軸(各曲線のベースライン、図示しない)が、図2(b)のk=k=0におけるエネルギー固有値の値、つまり各準位のエネルギーの最低値となるように描いている。

【0026】
上述した構造およびポテンシャル形状をもつQCL構造100を備えるTHz-QCL素子1000は次のように動作する。各単位構造10Uにおいて、レーザー上位準位である準位L3からレーザー下位準位である準位L2に電子が遷移する際に、誘導放出によりTHz領域の電磁波が放出される。この電磁波は図2において波線矢印により明示している。レーザー発振に必要な反転分布のため、準位L1が準位L2からの電子を効率良く引き抜くことが可能となるように単位構造10Uの構造つまり各層の膜厚や順序およびポテンシャルの値が設計されている。

【0027】
放出過程を電子の動きに着目し説明すると、電子は、ともにウェル層10W4またはウェル層10W3に高い存在確率を有する準位L3から準位L2に遷移する。その遷移の際に、光学場と結合し光学遷移による電磁波を放出する。その放出後の電子の準位である準位L2は、ウェル層10W2にも存在確率を持つ。そのため、準位L2の電子はバリア層10B3をトンネルする。次に、主にウェル層10W2において、準位L2の電子がLOフォノンとの間で電子-フォノン散乱を起こし準位L1に遷移してゆく。準位L1の電子は、z軸の負の方向の次の単位構造10Uの準位L3(図示しない)に注入される。このため、ウェル層10W4およびウェル層10W3の領域は、電磁波の放出が生じる発光領域といえる。また、ウェル層10W2は、準位L2の電子の分布をLOフォノンの散乱を利用した電子の引き抜きを起こさせるフォノンウェル層となる。そして、ウェル層10W1は、準位L1の電子を次段の単位構造10Uへの注入領域となる注入ウェル層となる。


【0028】
[1-2 改良の思想]
本願の発明者らは、LOフォノン散乱アシストタイプのTHz-QCLにおいて閾値電流密度Jthや最高動作温度Tmaxを支配する機構を解析したところ、LOフォノンの作用には、準位L2から準位L1へ電子を引き抜く以外にも、別の作用があることに気づいた。最高動作温度Tmaxおよび閾値電流密度Jthに影響するのは、特に次の二つの作用である。

【0029】
一つは、熱励起電子のフォノン媒介リークと呼ぶ機構である。図3は、その熱励起電子のフォノン媒介リークを示す説明図である。図3は、図2(b)と同様に描いた単位構造10Uにおける電子のエネルギー準位の図である。できるだけ少ない電流で、または、できるだけ高い温度でレーザー発振するためには、図3に示すように、レーザー上位準位である準位L3の電子は、可能な限り多くが準位L2との間で電磁波の放出に寄与することが望ましい。ところが、実際には、LOフォノンが関与する別の遷移機構により、発光を伴わずに準位L3から準位L2に電子が遷移してしまう非発光遷移(nonradiative transition)が生じる。この非発光遷移には、準位L3の電子のうち熱励起されてある程度以上高いエネルギーを持つものが関与する。図3において準位L3にある電子は熱励起によりxy面内でも運動しており、波数kが0ではなく、その運動エネルギー分だけ最低エネルギーEより高いエネルギーをもつものを含む。熱励起の程度は、電子温度Telectronの関数として、kelectronとなる(kはボルツマン定数)。数値例を挙げれば、Telectronが100Kの場合、kelectronは約8.6meV程度である。ここで、準位L3の最低エネルギーEと準位L2の最低エネルギーEとの差E32は、放出される電磁波のフォトンとしてのエネルギーであり例えば15meV程度である。また、LOフォノンのエネルギーELOは、例えばほとんどがGaAsである組成では36meV程度である。したがって、準位L3の電子のうち、準位L2の最低エネルギーEを基準にLOフォノンのエネルギーELOだけ高いエネルギーつまりE+ELOやそれを超える電子(図のハッチングの領域のエネルギーを持つ電子)は動作時には多数生じ、しかも、電子温度Telectronに応じ増加する。


【0030】
そして、E+ELOを超えた電子は、LOフォノンと相互作用し非常に早い速度(rate)で発光を伴わずに準位L2に緩和してしまう(非発光遷移)。これは、LOフォノンの性質のためである。このような非発光遷移が支配的になると、電子の引き抜きにより準位L3と準位L2との間に形成した反転分布をキャンセルしてしまい、レーザー発振への障害となる。この熱励起電子がLOフォノンにより非発光遷移する現象が、熱励起電子のフォノン媒介リークである。熱励起電子のフォノン媒介リークとは、準位L3において熱励起された電子が非発光遷移し、本来の光学遷移をせずに「リーク」してしまう機構である。

【0031】
もう一つのLOフォノンの作用は、準位L1から準位L2に対し電子が熱統計的に励起され、反転分布をキャンセルしてしまう現象である。この現象をサーマルバックフィリングと呼ぶ。図4は、サーマルバックフィリングを説明する説明図である。この機構は、準位L2から準位L1に引き抜かれた電子に、統計的な確率により、準位L2の最低エネルギーEと準位L1の最低エネルギーEとの差であるエネルギー差E21を超える電子が含まれることによる。エネルギー差E21は、LOフォノンによる電子の引き抜きの機構上、エネルギーELOとほとんど同じか、ごくわずか(たとえば1meV以内)小さく設定される。


【0032】
[1-2-1 熱励起電子のフォノン媒介リークの低減]
熱励起電子のフォノン媒介リークを低減するために本願の発明者らが着目したのは、LOフォノンのエネルギーELOの値を変更するように、QCL構造100の材質を変更することである。端的には、QCL構造100の材質は、電磁波を放出する動作時の電圧が印加された際に、
LO>kT+E32
を満足するように構成される。ここで、ELOは新たな設計のQCL構造100の内部に励起されうるLOフォノンのエネルギー、E32は上位レーザー準位および下位レーザー準位それぞれの最小エネルギー値の差つまりE-E、そして、Tは動作温度(単位:K)である。

【0033】
さらに好ましくは、QCL構造100の材質は、
LO>kelectron+E32
を満足するように構成される。ただし、Telectronは電子温度(単位:K)である。これらの構成により、上位レーザー準位である準位L3において熱励起された電子が、LOフォノンとの間における電子-フォノン散乱により媒介され、準位L3から下位レーザー準位である準位L2へと非発光遷移する確率が低減される。ここで、LOフォノンのエネルギーELOの値を増大させれば、準位L3から準位L2へと電子が非発光遷移しリークする確率が一層低減される。さらに、ELOの値を増大させれば、熱励起されるエネルギーの指標kelectronが増大しても、非発光遷移してリークが生じにくくなる。このため、ELOの値を増大することができれば、上記QCLの最高動作温度Tmaxが高温化される。

【0034】
なお、電子温度Telectronは、動作温度Tに比べ、例えば10K~20K程度高い値となる。これは、例えばパルス発振または連続発振しているレーザー素子においては、供給される電気的なエネルギーが最初に電子に伝達し、その電子からの熱エネルギーがヒートシンクなどに伝達して散逸されるためである。電子温度Telectronは外部から測定される温度である動作温度Tよりも高くなるため、ELOは、動作温度Tを基準に決定され、より好ましくは、電子温度Telectronを基準に決定される。

【0035】
[1-2-2 サーマルバックフィリングの低減]
上述したLOフォノンのエネルギーELOの値を単に増大させるだけでは、サーマルバックフィリングには特段影響がない。これは、準位L1から準位L2に励起される電子に対し直接的にはLOフォノンのエネルギーELOが影響しないためである。ところが、準位L2と準位L1の最小エネルギーの差E21を、LOフォノンのエネルギーELOとの間で、準位L2から準位L1に電子引き抜きを良好に行なうための条件を満たすように維持することにより、このサーマルバックフィリングによる影響を低減することが可能となる。すなわち、サーマルバックフィリングは、準位L1から準位L2への熱的な電子の励起によるものであるため、ELOの増大に応じE21も増大するようにQCL構造100の設計を変更することにより、サーマルバックフィリングを低減することが可能となる。


【0036】
[1-3 具体的な改良]
上述した改良の思想を反映し、本実施形態においては、LOフォノンのエネルギーELO増大を目指すための手段としてQCL構造100の活性領域10を構成する材料が従来のものから変更される。そして、それに伴いQCL構造100の設計も変更または調整される。

【0037】
[1-3-1 材料変更]
具体的な本実施形態の手段は、エネルギーELOを増大させるように、活性領域10におけるアルミニウムAlを増大させる。LOフォノンのエネルギーELOを、GaAsのみの組成(従来のウェル層)と、Al0.15Ga0.85As程度、つまり原子数比で0.15程度Alを含むGaAsとAlAsの混晶の組成(従来のバリア層)の組合せにおいて、Alを増大させるのである。ここで、GaAsのLOフォノンのエネルギーは、約36meVであり、従来のウェル層/従来のバリア層の組成が、GaAs/Al0.15Ga0.85Aに対しても、LOフォノンのエネルギーは、約36meVとなる。これに対して、AlAsのLOフォノンのエネルギーは約44meVである。そして、活性領域10においてAlが増加されるのは、一つにはバリア層10Bであり、もう一つはウェル層10Wである。特に、図2(a)に示したように、単位構造10Uのうち層の割合が多いのはウェル層10Wであるため、ウェル層10Wの組成にアルミニウムAlを導入することにより、LOフォノンのエネルギーを約44meVの値に近づけることが可能となり有効である。したがって、本実施形態のTHz-QCL素子1000の活性領域10では、特にウェル層10WにアルミニウムAlを導入しLOフォノンのエネルギーの値をこれまで以上に増大させる。

【0038】
[1-3-2 設計変更]
本実施形態のTHz-QCL素子1000においては、単に活性領域10のAlを増大させるだけではなく、その設計も従来のものから変更または調整される。図5は、xy面でのエネルギー分散関係の説明図である。図5(a)は従来のエネルギー分散関係を示し、図5(b)は本実施形態のエネルギー分散関係を示す。材質の変更に伴い、各準位の電子の有効質量などの細部が変化するが、ここでは図示していない。図5(b)を図5(a)と対比することにより分かるように、THz-QCL素子1000においては、材料変更により増大されたエネルギーELOにあわせ、準位L2と準位L1の間を拡げるように設計が変更される。

【0039】
つまり、レーザー発振に必要な反転分布のため、準位L1への準位L2からの引き抜きの確率を高くするように設定される。典型的には、電圧が印加された状態において、準位L2の最小エネルギーEと準位L1の最小エネルギーEの差E21が、LOフォノンのエネルギーELOとの間で、
LO≧E21
の関係を満足するようにQCL構造100が構成されている。従来のTHz-QCL(図示しない)であれば、ELOは約36meV(GaAsの値)付近である。このLOフォノンによる準位L2からの電子の引き抜きは、準位L2を占有している電子を可能な限り素早く準位L1に遷移させる作用により実現される。本実施形態のTHz-QCL素子1000においても、この目的のために、準位L2と準位L1との間のエネルギー差E21をQCL構造100におけるフォノンのエネルギーELOに一致させるように、または、ELOよりわずかに小さくなるように、半導体超格子構造100Aの設計が変更または調整される。


【0040】
図6を参照しこの点をさらに説明する。図6は、その電子の緩和機構を説明するエネルギーチャートである。図6(a)は、ウェル層/バリア層が、GaAs/Al0.15Ga0.85Asという組成の場合を、エネルギーELOが約36meVとして示したものであり、図6(b)はAlGa1-xAs/AlGa1-yAs(x<y≦1)という組成の場合をエネルギーELOが約44meVとして示したものである。このエネルギーELOは、上記x、yの具体的な数値に応じて例えば約36meV~44meVの範囲において変化する。準位L1の最低エネルギーEは、図2(a)にて示したように、縮退した二つの準位のエネルギーを記載している。また、各準位間には生じる遷移の寿命の表現を付記している。準位L3と準位L2の間には、3.6THzの周波数の電磁波のフォトンが持つ15meVのエネルギーを設けた場合を例示している。また説明のため、E21すなわちE-EはELOに一致させることとする。


【0041】
図6(a)に示すGaAs/Al0.15Ga0.85Asのウェル層/バリア層の場合、準位L3の最低エネルギーEから21meVだけ高いエネルギーを持つ電子、つまり、約240K程度の電子温度Telectronに相当するだけ熱励起された電子は、そのほとんどが準位L2に非発光遷移してしまう。つまり、準位L3において電子が分布することが可能なエネルギーの上限は、Eから21meV増大させた位置となる。これに対し、図6(b)に示すAlGa1-xAs/AlGa1-yAs(x<y≦1)では、準位L3の最低エネルギーEから29meVの位置に上記上限が位置することとなり、エネルギーELOが44meVであるとき8meV分つまり約90K分だけ電子温度Telectronの上昇可能な上限が拡がる。もちろん、GaAsをすべてAlAsとするわけではないものの、GaAsにAlを導入することにより、熱励起電子のフォノン媒介リークに対する余裕が改善される。これが、熱励起電子のフォノン媒介リークに対する対策となる。


【0042】
そして、サーマルバックフィリングの影響も、GaAsにAlを導入し、半導体超格子構造100Aの設計を変更または調整することにより低減される。E21=ELOと仮定し、電子温度Telectronを200Kとした場合、エネルギーELOが36meVであれば、準位L1の電子のうち約11%程度が準位L2に熱励起により遷移する。これに対し、エネルギーELOが44meVであれば、準位L1の電子のうち準位L2に熱励起により遷移するものの割合は、約7.3%程度へと減少する。つまりELOが36meVから44meVに変化するに従いサーマルバックフィリングによる準位L2の電子数は1.5分の1となり、反転分布をより起こしやすくすることができる。

【0043】
さらに、本願の発明者らが得た知見には、LOフォノンのエネルギーを増大するための材質の変更により、熱励起電子がLOフォノンにより散乱される散乱確率が増大しないことも含まれている。つまり、その散乱確率が上記材質変更により増大すると、かえってτ32が短くなるという可能性も考慮しなくてはならない。ところが、本願発明者らは、そのような散乱確率の増大が起きないことを確認している。

【0044】
なお、図5(b)および図6(b)に示した設計変更のための具体的手段は特に限定されない。例えば、THz-QCL素子1000において動作時に印加される電圧の調整や、ウェル層10Wやバリア層10Bの厚みの変更を行なうことにより、設計を変更することが可能である。

【0045】
[1-4 実施計算例]
本願の発明者らは、上述した材質変更と設計変更により、意図通りにレーザー発振の最高動作温度Tmaxが増大するか、また、閾値電流密度Jthが減少するかどうかを、理論計算により確かめた。

【0046】
[1-4-1 材料変更の効果のシミュレーション]
レート方程式に用いる各パラメータと閾値電流密度Jthの関係は、
【数1】
JP0005544574B2_000002t.gif

である。ここで、εは真空の誘電率、eは電子の電荷量、Γは光閉じ込め因子(optical confinement factor)、Z32は準位L3と準位L2の間の双極子行列要素(dipole matrix element)、λは電磁波の真空中での波長、nは波長λの電磁波に対する屈折率、Lは単位構造10Uの厚み、αはミラーのロス、αは導波路のロス、γ32は準位L3と準位L2の間のレーザー遷移における線幅(半値全幅)、τは準位L3にある電子の寿命、τは準位L2にある電子の寿命、そして、τ32は準位L3にある電子が準位L2へサブバンド間遷移する寿命である。

【0047】
数1の閾値電流密度Jthの表現におけるτ32については、
【数2】
JP0005544574B2_000003t.gif

が成り立つ。ここで、τe-eは電子-電子散乱の時定数(または平均寿命、以下「散乱時間」と記す)であり、τthermalLOは、熱励起電子のフォノン媒介リークの散乱時間である。そして、GaAsにAlを導入する材料系では、τe-eは無視しうるほど長いのに対しτthermalLOは短いため、準位L3から準位L2への寿命については、熱励起電子のフォノン媒介リークのτthermalLOにより支配される。そしてτthermalLOは、
【数3】
JP0005544574B2_000004t.gif

により与えられる。ここで、τLOは、運動エネルギーがELO-E32であるような電子に対するLOフォノン散乱の散乱時間である。τelectronおよびτLOは、理論曲線が実験結果を説明するように決定されるフィッティングパラメータとされる。


【0048】
数2の関係から、τ32以外にも、τ31(準位L3にある電子が準位L1へ遷移する寿命)、およびτの温度依存性が問題となりうる。その温度依存性は、LOフォノンがボーズ・アインシュタイン統計に従うことから、
【数4】
JP0005544574B2_000005t.gif

の関係が成立する。ここで、hバーはプランク定数hを2πで除した量、ωLOは、LOフォノンの角振動数である。Tlatticeは結晶格子の温度である。ELOはLOフォノンのエネルギーであり、hバー×ωLOと同じである。格子の温度Tlatticeはヒートシンク温度と同一とする。

【0049】
さらに、THz-QCL素子1000に流れる電流密度の最大値Jmaxは、
【数5】
JP0005544574B2_000006t.gif

の関係により決定される。ここで、nはキャリア(電子)の濃度、qは、キャリア(電子)の電荷量であり、電荷素量eと同一である。理論上は、最高動作温度Tmaxは、JMAX-Jthが非負である範囲として決定される。つまり、THz-QCL素子1000は、レーザ発振において流すことが可能な電流密度の最大値Jmaxを、温度によって変化する閾値電流密度Jthが超えない場合に限り、動作することが可能である。

【0050】
これらの関係式を用い、次のような手順により材料変更の効果が理論計算によりシミュレーションされる。まず、第1ステップとして、緩和時間τ(τ31、τ21)が、低温の条件により計算される。この際、電子-電子散乱が無視される。そして、τthermalLO中のτLOおよびτelectronは、実験結果へのフィッティングにより決定される。次に、第2ステップとして、すべての緩和時間τ(τ31、τ21、τLO)の温度依存性を決定し、各温度における閾値電流密度Jthを数値計算により算出する。閾値電流密度Jthは一般に温度の上昇につれて増大する。そして、第3ステップとして、その閾値電流密度Jthが電流密度の最大値Jmaxと一致する温度Tmaxを決定する。さらに詳細な手法については、本願の一部の発明者が公表している(非特許文献3:T. T. Lin, K. Ohtani, and H. Ohno, Applied Physics Express, No.2, 022102 (2009))。

【0051】
[1-4-2 理論計算結果]
次に、レート方程式によるレーザー動作の計算結果について説明する。数値計算の内容は、(1)バリア層のみにAlを増加させた材質変更と(2)ウェル層とバリア層の両方にAlを増加させた材質変更とのそれぞれに対する各温度での閾値電流密度Jthである。閾値電流密度Jthを各温度で求めれば、閾値電流密度Jthの組成依存性ばかりか、最高動作温度Tmaxについての情報も得られるためである。図7は、活性領域10の組成を変更した場合の閾値電流密度Jthの数値計算結果の詳細なグラフである。変更した活性領域10の組成を、ウェル層10W/バリア層10Bの組成により示すと、図7(a)は、GaAs/AlGa1-xAsにおいて、Alの組成比xを、x=0.15~0.95の範囲で0.1刻みに変化させたもの、およびx=1としたものであり、図7(b)は、AlGa1-xAs/AlGa1-yAsにおいて、y=x+0.2を保ってAlの組成比xをx=0.2~0.8の範囲で0.1刻みに変化させたものである。各図において、凡例ラベルは、(ウェル層におけるAl原子%)-(バリア層におけるAl原子%)としている。図7(a)および図7(b)の横軸は、ヒートシンク温度すなわちTlatticeであり、縦軸は、ウェル層10W/バリア層10Bの組成がGaAs/Al0.15Ga0.85Asである場合の4Kでの値を1とするように正規化した閾値電流密度Jthの高温域の各温度における値である。すなわち、各曲線は、各組成に対して上記のシミュレーション手順を実行し、第2ステップの時点における閾値電流密度Jthをプロットしたものである。また、図8は、図7の数値計算結果から読み取った最高動作温度Tmaxの組成依存性を示すグラフである。この図8は、上記のシミュレーション手順を実行し、第3ステップの時点で数5のTHz-QCL素子1000に流すことができる電流密度の最大値Jmaxが与えられる温度を温度Tmaxとして各組成に対してプロットしたものである。なお、Jmaxは、組成や温度に依存しないため、図7においてJmaxに直線として明示している。


【0052】
図7に示した結果からは、正規化した閾値電流密度Jthが同一に保ちうるという仮定の下では、Al組成を増大させるとヒートシンク温度つまり動作温度を高めうることが示されている。また、動作温度を同一に保った条件では、Al組成を増大させると正規化した閾値電流密度Jthが低減することも示されている。しかも、図7(b)は、図7(a)に示すバリア層10BのみにAlを投入する構成に比べ、ウェル層10Wとバリア層10Bの双方にAlを導入することが有効であることも示している。

【0053】
この点は、図8にも明瞭に現われている。図8は、図7において閾値電流密度Jthが変わらないという仮定をおいて動作温度の組成依存性を読み取ったものである。

【0054】
[1-5 実施作製例]
次に、実際にいくつかの条件においてTHz-QCL素子1000を作製しその特性を測定した。

【0055】
[1-5-1 作製方法]
実施作製例として作製したTHz-QCL素子1000の作製方法を説明する。図9、10は実施形態におけるTHz-QCL素子1000の作製時の各時点における素子構造の概略図である。まず、分子線エピタキシー(MBE)装置により各時点の下地となる結晶に対しコヒーレントに結晶成長させることにより、図1(b)に示した半導体超格子構造100Aを形成する。このために、基板50には(100)面方位の単結晶GaAs基板を採用する。また、ES層60(図1(b))を形成する。ES層60は、後に基板50をエッチングにより除去する際に、基板50のためのエッチャントによりエッチングされにくい材質として、Al0.5Ga0.5Asを十分な厚みである600nm堆積させた層である。次に、コンタクト層となる高ドープGaAs層120を形成する。この際、ドーピングにより、電子密度を3×1018cm-3程度に制御しておく。次に、活性領域10を形成する。活性領域10は、図1(c)に示した単位構造10Uの繰り返し構造を形成する。バリア層10Bおよびウェル層10Wの組成は、各サンプルにあわせて調整する。膜厚も、バリア層10Bおよびウェル層10Wの組成にあわせて設計変更されるため、サンプル毎に変化させる。これらの一例を説明すれば、ウェル層10WにAl0.15Ga0.85As、バリア層10BにGaAsを採用する従来の構成を再現するサンプル(図7(a)において最も低温側の曲線に相当するサンプル)においては、具体的には、図1(c)のバリア層10B1~ウェル層10W4の順に、9.4/2.4/14.8/3.8/6.4/2.4/7.8/5.4(nm)の膜厚に積層する。次いで高ドープGaAs層140が50nm厚に形成される。高ドープGaAs層140は、ドーピングによって、電子密度を5×1018cm-3程度に制御しておく。さらにコンタクト層となるδドープGaAs層160を形成する。δドープGaAs層160は、1nm厚GaAs層とSiのδドープ層の組合せ10セットからなる層である。そして、5nmの低温形成のGaAs層(LTG-GaAs層)180が形成される。さらに、図9(a)に示すように、メタル層30Aが形成される。このメタル層30Aは、積層順に、材質(膜厚)が、Ta(20nm)/Cu(600nm)/Au(100nm)の構成に形成する。

【0056】
また、図9(b)に示すように、レセプター40にメタル層30Bを形成したものも準備しておく。メタル層30Bは、レセプター40側からメタル層30Aと同様の構造となるように形成されている。

【0057】
次に、図9(c)に示すように、メタル層30Aとメタル層30Bを圧着しながら加熱して電極30となるように一体化するウエハーボンディングにより、ほぼ全体の積層構造が形成される。このための典型的な条件は、36kgf/cm(約3.5MPa)程度の圧力を印加し続けながら、窒素雰囲気中で、320℃、30分熱処理する。

【0058】
その後、図9(d)に示すように、基板50を80μmに、レセプター40を20μmに研磨し、図9(e)に示すように、基板50の外表面を残して他の部分を保護用のワックス500にて被覆する。なお、図9(e)では説明のため紙面に沿う側面にはワックス500を描いていない。

【0059】
次に、図10(f)に示すように、ウエットエッチングにより、基板50の大半を除去する。このウエットエッチングは、HPO:H:HO=1:1:1(容積比)のエッチャントを用いて、液温10℃、時間は、10分程度行なわれる。次いで、選択的エッチングを行なう。このためには、エッチャントとして、(クエン酸C:HO):H=3:1(容積比)が採用され、液温40℃、時間は1~3時間程度とされる。その結果、図10(g)に示すように、基板50を除去し、最表面にES層60を露出させる。そして、ES層60を除去するため、バッファードフッ酸(HF with NH4 F)による選択的エッチングを行なう。その段階では、図10(h)に示すように、ES層60が除去され、半導体超格子構造100Aの最表面として高ドープGaAs層120が露出している。

【0060】
さらに、半導体超格子構造100Aの高ドープGaAs層120の表面に電極20を形成する(図10(i))。この電極20は、Auを100nm程度形成し、200μm幅にパターニングしたものである。この電極20をマスクとして塩素ガスのドライエッチングにより、半導体超格子構造100Aの周囲を除去し、メサ幅200μm幅のQCL構造100を形成し、キャビティ長が0.5~1.5mmとなるように劈開によりを行なう(図10(j))。最後に、電極20、30に電気的接続を取ることにより、動作可能なTHz-QCL素子1000を作製する(図10(k))。

【0061】
[1-5-2 サンプル]
現時点において実験により確認したのは、バリア層の組成を変更した図7(a)に示したもののみである。具体的には、実施作製例のサンプルは、GaAs/AlGa(1-x)Asにおいて、xを、x=0.15、0.25、0.35と変化させたものである。

【0062】
[1-5-3 サンプルの測定結果とシミュレーション結果の対比]
次に、上述したように作製した実施作製例のサンプルにより、各温度での正規化した閾値電流密度Jthを測定した。また、図7と同様の手法により求めた理論計算も行なった。図11は、実施作製例のサンプルの測定結果を示すグラフである。図11は、THz-QCL素子の活性層のウェル層/バリア層の組成GaAs/AlGa(1-x)Asにおいて、x=0.15としたサンプルを実際に動作させた際の電流放出特性(図11(a))と、放出される電磁波のスペクトル(図11(b))である。また、図12は、アルミニウムの組成比xを変更し作製したGaAs/AlGa(1-x)Asの構成の実施作製例のサンプル(exp.)の特性と理論計算(sim.)の結果を示すグラフである。


【0063】
図11に示すように、GaAs/AlGa(1-x)Asにおいて、x=0.15としたサンプルのレーザー発振を、60K以下の低温において、おおよそ1250A/cm程度の電流密度を閾値電流密度の密度として確認した。また、最高動作温度は、繰り返し周波数500Hzのパルス動作で約143Kであった。そして、図12に示すように、実施作製例のサンプルから測定された正規化した閾値電流密度Jthは理論計算によく整合していた。特に、60Kを超える領域ではサンプルの測定結果と理論計算の結果とが良好に整合していた。

【0064】
したがって、THz-QCL素子1000の特性を予測するために採用した理論計算は、閾値電流密度Jthと動作温度との関係を説明するために役立つものといえる。つまり、実測データから、同一の動作温度における正規化した閾値電流密度Jthを比較すると、Alの導入量を増大させる手法により閾値電流密度Jthが低減されることが確認された。また、実測データから、同一の正規化した閾値電流密度Jthにおける動作温度を比較すると、Alの導入量を増大させる手法により、これまで以上に高温において発振動作が実現することが確認された。

【0065】
なお、各サンプルから確認された最高動作温度Tmaxは、GaAs/AlGa(1-x)Asのx=0.15において143K、x=0.25において132K、x=0.35において120Kであった。この結果のみに注目すると、現時点では、Alの導入量を増大させる手法によって、最高動作温度Tmaxが高められているとは言いがたい。実際のサンプルにおいてこのような最高動作温度Tmaxの振る舞いが得られた原因については現時点では不明である。ただし、本願の発明者らは、理論計算の結果と実験との整合性が全般的に良好であることを確認している。つまり、Alの導入量を増大させることにより閾値電流密度Jthを低減しうることについての理論的予測の正しさを、高温(100K程度以上)の領域において実験により確認している。したがって、その理論的予測に基づき、最高動作温度Tmaxを高めることも、実験的な困難を解決することにより必ずや確認されるものと確信している。また、上記実験は、バリア層10Bの組成においてのみAlを増大させている。ウェル層10WにAlを導入しまたその組成比を増大させられる実験を行なうことにより、図7(b)および図8(b)の計算結果により示唆されるような閾値電流密度Jthの低減と最高動作温度Tmaxの向上が達成されるものと確信している。


【0066】
<第1実施形態:変形例>
[2 他の具体的構成]
上述した本実施形態におけるウェル層10Wやバリア層10Bの材質は、ウェル層10W1~10W4、およびバリア層10B1~バリア層10B4のそれぞれで同一としているが本発明がこのような材質の組合せに限定されるものではない。


【0067】
また、上述した本発明の趣旨を逸脱しない範囲において、本実施形態のTHz-QCL素子1000の構成はより具体的な構成に変更することが可能である。例えば、ウェル層10W/バリア層10Bの組成AlGa1-xAs/AlGa1-yAs(x<y≦1)についてのxおよびyの値の範囲は、x<y≦1とする点以外には特段制限がない。例えば、上述したLOフォノンのエネルギー値ELOからは、xやyは、ともに、可能な限り1に近づけられる。しかし、xとyの差によってウェル層10Wに対してバリア層10Bのポテンシャルバリアを形成するため、xの上限は、ポテンシャル障壁のために必要なxとyとの差分だけ、1から小さい値に設定される。一方のyには、そのような上限がないため、最も端的には、y=1(100%)とされる。

【0068】
[3 他の材料系]
本実施形態にてGaAs系の材料を採用するTHz-QCL素子1000に即して詳述した技術思想は、他の材料系のQCLにも適用することが可能である。例えば、InP系の化合物半導体を用いるQCLを採用する変形例について説明する。近時のInP系のQCLは、bound-to-continuumタイプにより作製されている。このため、閾値電流密度Jthを予測したり、最高動作温度Tmaxを予測することは容易ではない。これは、bound-to-continuumタイプにおいては、電子-電子散乱により緩和時間が決定されるためである。この場合、閾値電流密度Jthを予測したり、最高動作温度Tmaxを予測するために、LOフォノンのエネルギーや散乱を考慮するだけでは不十分となり、結果を一律に予測することはできない。

【0069】
しかし、仮にLOフォノンによる電子引き抜きのアプローチをInP系に適用し、LOフォノン散乱により緩和時間が支配されているという状況が実現されている場合を想定すると、本実施形態において説明したAlの導入量の増大により、熱励起電子のフォノン媒介リークを減少させることが可能となる。つまり、LOフォノン散乱による電子引き抜きのアプローチにおいて、InP基板の上に、ウェル層にInAlGa1-xAsP、バリア層にInAlGa1-yAsP(ただし、X>Y)を採用する活性領域のQCL素子を作製することが可能である。なお、従来のInP/InGaAs/InAlAsの材料系を採用するTHz領域のQCLの最高動作温度Tmaxの値は、bound-to-continuumタイプのもので115Kである。この材料系において作製されるQCLを、LOフォノンによる電子引き抜きのアプローチにより動作させる場合には、Alの組成比を増大することにより、閾値電流密度Jthを低減し、最高動作温度Tmaxを高めることが可能といえる。

【0070】
留意すべきは、InPに格子整合した成長をMBEにより行なうことは、GaAs系の場合に比べ鋭敏なことである。具体的には、格子整合が得られる組成が、In0.53Ga0.47As/In0.48Al0.52Asのみに限定されている。このため、結晶成長に別途工夫が必要となる。

【0071】
以上、本発明の実施形態を具体的に説明した。上述の各実施形態、実施作製例、実施計算例および変形例は、発明を説明するために記載されたものであり、本出願の発明の範囲は、特許請求の範囲の記載に基づき定められるべきものである。また、各実施形態の他の組合せを含む本発明の範囲内に存在する変形例もまた、特許請求の範囲に含まれる。
【産業上の利用可能性】
【0072】
本発明によれば、閾値電流密度Jthが低減されたTHz-QCLまたは最高動作温度Tmaxが向上されたTHz-QCLが提供される。これらTHz-QCLはTHz領域の電磁波の発生源を利用する機器に利用される。
【符号の説明】
【0073】
1000 素子
100 QCL構造(半導体超格子構造)
100A 半導体超格子構造
10 活性領域
10B、10B1~10B5 バリア層
10W、10W1~10W4 ウェル層
10U 単位構造
120、140 高ドープGaAs層
160 δドープGaAs層
20、30 電極
30A、30B メタル層
40 レセプター
50 基板
60 エッチングストッパー層
500 ワックス
L1~L3 準位
2000 電磁波
図面
【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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