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明細書 :質量分析方法及び質量分析データ処理装置

発行国 日本国特許庁(JP)
公報種別 特許公報(B2)
特許番号 特許第6004359号 (P6004359)
登録日 平成28年9月16日(2016.9.16)
発行日 平成28年10月5日(2016.10.5)
発明の名称または考案の名称 質量分析方法及び質量分析データ処理装置
国際特許分類 G01N  27/62        (2006.01)
G01N  27/64        (2006.01)
FI G01N 27/62 D
G01N 27/64 B
請求項の数または発明の数 7
全頁数 18
出願番号 特願2015-510136 (P2015-510136)
出願日 平成26年4月3日(2014.4.3)
新規性喪失の例外の表示 特許法第30条第2項適用 https://www.jstage.jst.go.jp/article/massspectrometry/1/2/1_A0007/_article、平成24年11月2日 https://www.jstage.jst.go.jp/article/massspectrometry/1/2/1_A0007/_pdf、平成24年11月2日
国際出願番号 PCT/JP2014/059872
国際公開番号 WO2014/163153
国際公開日 平成26年10月9日(2014.10.9)
優先権出願番号 2013077545
優先日 平成25年4月3日(2013.4.3)
優先権主張国 日本国(JP)
審査請求日 平成27年7月23日(2015.7.23)
特許権者または実用新案権者 【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
【識別番号】505155528
【氏名又は名称】公立大学法人横浜市立大学
発明者または考案者 【氏名】田中 耕一
【氏名】岩本 慎一
【氏名】関谷 禎規
【氏名】高山 光男
個別代理人の代理人 【識別番号】110001069、【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
審査官 【審査官】藤田 都志行
参考文献・文献 特開2011-179915(JP,A)
特開2012-220365(JP,A)
調査した分野 G01N 27/62
G01N 27/64
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CiNii
特許請求の範囲 【請求項1】
MALDIイオン源を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法であって、
a)インソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを収集するデータ収集ステップと、
b)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差を有するペアピークを検出するペアピーク検出ステップと、
c)前記ペアピーク検出ステップで検出されたペアピークを構成する二本のピークのうちの質量電荷比が小さい方のピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別ステップと、
を有することを特徴とする質量分析方法。
【請求項2】
MALDIイオン源を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法であって、
a)安定同位体標識したマトリクスと非標識マトリクスとを混合したマトリクスを用いて調製したサンプルに対しインソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを収集するデータ収集ステップと、
b)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差と、安定同位体標識物質の質量と数とに相当する質量電荷比差とを有するトリプレットピークを検出するトリプレットピーク検出ステップと、
c)前記トリプレットピーク検出ステップで検出されたトリプレットピークを構成する三本のピークのうちの質量電荷比が最も小さいピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別ステップと、
を有することを特徴とする質量分析方法。
【請求項3】
請求項2に記載の質量分析方法であって、
d)前記トリプレットピーク検出ステップで検出されたトリプレットピークを構成する三本のピークのうちの質量電荷比が2番目に小さいピークと質量電荷比が最も大きいピークとをそれぞれプリカーサイオンとしたMSn分析(nは2以上の整数)を実行してMSnスペクトルデータを収集するMSnスペクトルデータ収集ステップと、
e)前記MSnスペクトルデータにより得られる二つのMSnスペクトルを比較し、安定同位体標識物質の質量と数とに相当する質量電荷比差を有するピークを目的物質由来のa/b/c系列のイオンピークであるとして識別するイオン2次識別ステップと、
を有することを特徴とする質量分析方法。
【請求項4】
請求項3に記載の質量分析方法であって、
前記イオン2次識別ステップでは、前記MSnスペクトルデータにより得られる二つのMSnスペクトルを比較し、同一質量電荷比に現れるピークを目的物質由来のx/y/z系列のイオンピークであるとして識別することを特徴とする質量分析方法。
【請求項5】
請求項1又は2に記載の質量分析方法であって、
前記マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差は、マトリクスの質量から二個の水素原子の質量を差し引いた値であることを特徴とする質量分析方法。
【請求項6】
MALDIイオン源を具備する質量分析装置において、インソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを処理する質量分析データ処理装置であって、
a)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差を有するペアピークを検出するペアピーク検出部と、
b)前記ペアピーク検出部により検出されたペアピークを構成する二本のピークのうちの質量電荷比が小さい方のピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別部と、
を備えることを特徴とする質量分析データ処理装置。
【請求項7】
MALDIイオン源を具備する質量分析装置において、安定同位体標識したマトリクスと非標識マトリクスとを混合したマトリクスを用いて調製したサンプルに対しインソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを処理する質量分析データ処理装置であって、
a)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差と、安定同位体標識物質の質量と数とに相当する質量電荷比差とを有するトリプレットピークを検出するトリプレットピーク検出部と、
b)前記トリプレットピーク検出部により検出されたトリプレットピークを構成する三本のピークのうちの質量電荷比が最も小さいピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別部と、
を備えることを特徴とする質量分析データ処理装置。
発明の詳細な説明 【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析方法及び該方法に用いられる質量分析データ処理装置に関し、さらに詳しくは、マトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)イオン源を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法及び該方法に用いられる質量分析データ処理装置に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、タンパク質やペプチド、糖鎖、核酸などの生体由来の高分子化合物の同定や構造解析に、イオンに対する解離操作を伴う質量分析の手法が盛んに利用されている。イオンを解離させる手法としては、イオントラップやコリジョンセルを用いた衝突誘起解離(CID=Collision Induced Dissociation)がよく用いられているが、イオン源の種類によっては、インソース分解(ISD=In-Source Decay)と呼ばれる手法が用いられることがある。インソース分解はイオン化と同時に又はイオン化の直後にイオン化室内等で生じる開裂のことであり、よく知られているのは、電子イオン化法(EI)によるイオン化の際の分子イオンの開裂である。
【0003】
MALDI法によるイオン化は一般にソフトなイオン化であると言われ、もともとイオン化に際して開裂を起こしにくいが、例えばレーザ光強度を高める等、イオン化の際のエネルギを高めることで、開裂が促進されることが知られている。特にタンパク質やペプチドを対象とした、MALDIイオン源におけるインソース分解では、レーザ光の照射によってマトリクスから発生した水素ラジカルによりペプチド主鎖のN-Cα結合の開裂が誘起され、主としてc系列イオン及びこれと対になるz系列イオンが生成することが知られている(非特許文献1参照)。こうした現象を利用して、MALDI飛行時間型質量分析計においてインソース分解で得られたマススペクトルを解析することにより、ペプチドのアミノ酸配列を推定するといった解析が行われている。
なお、以下の説明では、MALDIイオン源におけるインソース分解を利用した質量分析方法を「MALDI-ISD分析」と称す。
【0004】
また、MALDIイオン源でのインソース分解の起こり易さは、サンプル調製に使用されるマトリクスにも依存しており、非特許文献1~3によれば、MALDI-ISD分析に適したマトリクスとして、2,5-ジヒドロキシ安息香酸(2,5-Dihydroxybenzoic acid:DHB)、1,5-ジアミノナフタレン(1,5-Diaminonaphtalene:DAN)、5-アミノ-1-ナフトール(5-Amino-1-naphtol:ANL)などが挙げられている。
【0005】
上述したようにペプチドに対して得られたマススペクトルからアミノ酸配列を推定する際には、既知のアミノ酸配列が収録されたデータベースを用いた検索による手法やプロダクトイオンの質量電荷比差を検出して配列を決定する手法(デノボ(De novo)シーケンシング法)などが使用される(非特許文献6参照)。そうした解析の際には、マススペクトル上で観測されるピークの情報(質量電荷比及び強度)が利用され、一般的には、マススペクトルから得られるプロダクトイオンの情報が多いほど、ペプチドのアミノ酸配列推定の精度は向上する。
【0006】
しかしながら、得られるプロダクトイオンの情報が多すぎたり、マススペクトルのピークパターンが複雑であったりすると、却ってペプチドのアミノ酸配列決定やタンパク質の同定を行えない(つまり同定不可となる)ことがある。その大きな理由の一つは、プロダクトイオン由来のピークの数が多すぎると、各ピークがどのような種類のプロダクトイオンに属するものであるのかの帰属が困難になるためである。
【先行技術文献】
【0007】

【非特許文献1】高山光男、「各種質量分析分解法におけるインソース分解の特徴-Hydrogen-Attachment Dissociation(HAD)」、日本質量分析学会誌、第50巻、第6号、2002年、pp.337-349
【非特許文献2】ケビン・デムール(Kevin Demeure)、ほか3名、「レイショナル・セレクション・オブ・ジ・オプティマム・マルディ・マトリクス・フォー・トップ-ダウン・プロテオミクス・バイ・イン-ソース・ディケイ(Rational Selection of the Optimum MALDI Matrix for Top-Down Proteomics by In-Source Decay)」、アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、2007年、79巻、22号、pp.8678-8685
【非特許文献3】高山光男(Mitsuo Takayama)、ほか2名、「インフルーエンス・オブ・セカンダリ・ストラクチャ・オン・イン-ソース・ディケイ・オブ・プロテイン・イン・マトリクス-アシステッド・レーザ・デソープション/イオニゼイション・マス・スペクトロメトリ(Influence of Secondary Structure on In-Source Decay of Protein in Matrix-Assisted Laser Desorption/Ionization Mass Spectrometry)」、マス・スペクトロメトリ(Mass Spectrometry)、2012年、1巻、第1号、pp.A0001
【非特許文献4】トーマス・コチャー(Thomas Kocher)、ほか2名、「フラグメンテイション・オブ・ペプチズ・イン・マルディ・イン-ソース・ディケイ・メディエイテッド・バイ・ハイドロジェン・ラディカルズ(Fragmentation of Peptides in MALDI In-Source Decay Mediated by Hydrogen Radicals)」、アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistory)、2005年、77巻、第1号、pp.172-177
【非特許文献5】ケビン・デムール(Kevin Demeure)、ほか2名、「ニュー・アドバンセズ・イン・ジ・アンダースタンディング・オブ・ジ・イン-ソース・ディケイ・フラグメンテイション・オブ・ペプチドズ・イン・マルディ-トフ-エムエス(New Advances in the Understanding of the In-Source Decay Fragmentation of Peptides in MALDI-TOF-MS)」、ジャーナル・オブ・アメリカン・ソサイエティ・フォー・マス・スペクトロメトリ(Journal of the American Society for Mass Spectrometry)、2010年、21巻、第11号、pp.1906-1917
【非特許文献6】吉野健一、ほか3名、「質量分析法と配列データベースを利用するタンパク質同定法」、日本質量分析学会誌、52巻、第3号、2004年、pp.106-129
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
一般に、MALDI-ISD分析で得られたマススペクトルやCIDを用いたMSnスペクトルには、目的物質に由来する様々なイオンピークが現れるが、その中で一部のプロダクトイオンだけでもそのイオンの種類が決定されれば、データベース検索などの解析手法を利用したペプチド配列決定の精度が向上する。
【0009】
本発明はこうした課題に鑑みてなされたものであり、その目的とするところは、ペプチド、タンパク質等の化合物に対するMALDI-ISD分析で得られたマススペクトル上で観測されるプロダクトイオンピークの中から、特定のイオン種を容易に識別することができ、その結果を用いてペプチドのアミノ酸配列推定やタンパク質同定の精度を向上させることができる質量分析方法、及び該方法に用いられる質量分析データ処理装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
非特許文献4、5には、マトリクスとしてDHBやDANを用いたMALDI-ISD分析では、測定対象物質由来のz系列イオンにマトリクスのラジカルが付加したと推測されるイオン(以下、このイオンを「z+Matrixイオン」と記す)が観測されることが報告されている。本願発明者は実験によって、MALDI-ISD分析において確かにこうしたイオンが安定的に観測されることを確認するとともに、またマトリクスとしてANLを用いたMALDI-ISD分析においても同様に、測定対象物質由来のz系列イオンにマトリクスラジカルが付加したと推測されるイオンが観測されることを見出した。さらにまた、測定対象物質由来のz系列イオンはその全てがz+Matrixイオンとして観測されるわけではなく、マトリクスラジカルが付加しないz系列イオンも十分な感度で検出されることも見出した。
【0011】
サンプル調製に用いるマトリクスの質量は当然、ユーザには既知である。そこで、上記のような知見に基づき本願発明者は、この質量を利用して、MALDI-ISD分析において得られるマススペクトル上に観測される筈であるz系列イオンのピークと該z系列イオンにマトリクス由来のラジカルが付加したイオン(z+Matrix)由来のピークとを見出し、目的化合物由来のz系列イオンのピークを帰属するという手法に想到した。
【0012】
即ち、上記課題を解決するために成された本発明に係る質量分析方法の第1の態様は、MALDIイオン源を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法であって、
a)インソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを収集するデータ収集ステップと、
b)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差を有するペアピークを検出するペアピーク検出ステップと、
c)前記ペアピーク検出ステップで検出されたペアピークを構成する二本のピークのうちの質量電荷比が小さい方のピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別ステップと、
を有することを特徴としている。
【0013】
また上記第1の態様の質量分析方法を実施するための本発明に係る質量分析データ処理装置は、MALDIイオン源を具備する質量分析装置において、インソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを処理する質量分析データ処理装置であって、
a)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差を有するペアピークを検出するペアピーク検出部と、
b)前記ペアピーク検出部により検出されたペアピークを構成する二本のピークのうちの質量電荷比が小さい方のピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別部と、
を備えることを特徴としている。
【0014】
ここで、上記目的物質は典型的にはタンパク質又はペプチドである。また、マトリクスとしては、ANL、DHB、DANなどを用いればよい。
【0015】
例えばペプチドを対象とするMALDI-ISD分析では、イオン化の際にペプチド由来のz系列イオンのラジカルにマトリクスラジカルが結合したと考えられるz+Matrixイオンが生成され、ペプチド由来のz系列イオンとz+Matrixイオンのペアピークが観測される。この結合によって、通常、二個の水素ラジカルが脱離するため、z系列イオンとz+Matrixイオンとの質量電荷比差は、マトリクスの質量から二個の水素原子の質量を差し引いた質量電荷比となる。
【0016】
そこで、上記第1の態様の質量分析方法において、上記ペアピーク検出ステップにおける「マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差」は、マトリクスの質量から二個の水素原子の質量を差し引いた値であるものとすることができる。そして、イオン識別ステップにおいては、上記のようにペアピークが検出されると、その二本のピークのうちの質量電荷比が小さい方のピークを目的物質由来のz系列イオンピークとみなし、その帰属を決定する。このようにして、MALDI-ISD分析により得られた多数のプロダクトイオンの中から容易にz系列イオン(厳密にいえばz系列イオンであると推定されるイオン)を識別することができる。
【0017】
ただし、z系列イオン以外のピークが偶然に上記探索対象のペアピークに一致してしまうことを完全に避けることは難しいため、z系列イオンの識別精度を高めるには、上記ペアピークに対し既知の質量電荷比差を有する別のピークを加えたトリプレットピークがマススペクトルに観測されるようにするとよい。このようなピークとして、安定同位体元素で標識したマトリクスラジカルがペプチド由来のz系列イオンのラジカルに結合したz+Matrix*イオンを利用することができる。
【0018】
即ち、上記課題を解決するために成された本発明に係る質量分析方法の第2の態様は、MALDIイオン源を具備する質量分析装置を用いた質量分析方法であって、
a)安定同位体標識したマトリクスと非標識マトリクスとを混合したマトリクスを用いて調製したサンプルに対しインソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを収集するデータ収集ステップと、
b)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差と、安定同位体標識物質の質量と数とに相当する質量電荷比差とを有するトリプレットピークを検出するトリプレットピーク検出ステップと、
c)前記トリプレットピーク検出ステップで検出されたトリプレットピークを構成する三本のピークのうちの質量電荷比が最も小さいピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別ステップと、
を有することを特徴としている。
【0019】
また上記第2の態様の質量分析方法を実施するための本発明に係る質量分析データ処理装置は、MALDIイオン源を具備する質量分析装置において、安定同位体標識したマトリクスと非標識マトリクスとを混合したマトリクスを用いて調製したサンプルに対しインソース分解を行うことで生成された目的物質由来のプロダクトイオンについてのマススペクトルデータを処理する質量分析データ処理装置であって、
a)前記マススペクトルデータに基づいて得られるピークの中で、マトリクス由来の付加物に相当する質量電荷比差と、安定同位体標識物質の質量と数とに相当する質量電荷比差とを有するトリプレットピークを検出するトリプレットピーク検出部と、
b)前記トリプレットピーク検出部により検出されたトリプレットピークを構成する三本のピークのうちの質量電荷比が最も小さいピークを目的物質由来のz系列イオンピークであるとして識別するイオン識別部と、
を備えることを特徴としている。
【0020】
上記安定同位体物質としては安定同位体元素13Cや15Nなどを用いることができる。このような安定同位体元素で標識したマトリクスを非標識マトリクスと併せて用いれば、目的物質由来のz+Matrixイオンのピークよりも所定質量電荷比差だけ高い側にz+Matrix*イオンのピークが観測されるため、z系列イオン、z+Matrixイオン及びz+Matrix*イオンのトリプレットピークを検出することで、z系列イオンの識別精度を向上させることができる。なお、サンプル調製の際に、安定同位体標識したマトリクスと非標識マトリクスとを所定比で、例えば1対1で混合すれば、z+Matrixイオンとz+Matrix*イオンとのピーク強度の比はおおよそ、その混合比になる筈である。そこで、トリプレットピークを検出する際に、単に質量電荷比のみならず、ピーク強度比も判定することで、偽のトリプレットピークを排除することができる。
【0021】
上述したように、MALDI-ISD分析においてマトリクスは目的物質由来のz系列イオン、つまりはペプチドのN末端側に特異的に結合する。そのため、目的物質由来のz+Matrixイオンに対するMSnスペクトル(擬似的なMSn+1スペクトル)ではN末端を含むa/b/c系列のプロダクトイオンが非標識マトリクスが付加したイオンとして検出され、他方、z+Matrix*イオンに対するMSnスペクトル(擬似的なMSn+1スペクトル)では同じa/b/c系列のプロダクトイオンは安定同位体標識マトリクスが付加したイオンとして検出される。そして、それらa/b/c系列のプロダクトイオンは安定同位体標識元素の質量及び数に応じた質量差を有することになる。
【0022】
そこで上記第2の態様の質量分析方法は、さらに、
d)前記トリプレットピーク検出ステップで検出されたトリプレットピークを構成する三本のピークのうちの質量電荷比が2番目に小さいピークと質量電荷比が最も大きいピークとをそれぞれプリカーサイオンとしたMSn分析(nは2以上の整数)を実行してMSnスペクトルデータを収集するMSnスペクトルデータ収集ステップと、
e)前記MSnスペクトルデータにより得られる二つのMSnスペクトルを比較し、安定同位体標識物質の質量と数とに相当する質量電荷比差を有するピークを目的物質由来のa/b/c系列のイオンピークであるとして識別するイオン2次識別ステップと、
を有するものとすることができる。
【0023】
一方、N末端を含まないx/y/z系列のプロダクトイオンにはマトリクスは結合していないので、上記二つのMSnスペクトルにおいて同じ質量電荷比に目的物質に由来するx/y/z系列のプロダクトイオンピークが観測されることになる。そこで上記イオン2次識別ステップでは、上記MSnスペクトルデータにより得られる二つのMSnスペクトルを比較し、同一質量電荷比に現れるピークを目的物質由来のx/y/z系列のイオンピークであるとして識別することができる。
【0024】
これにより、目的物質由来のイオンに関してより多くの情報を例えばペプチドのアミノ酸配列決定やタンパク質同定の解析に供することができ、そうした解析の精度を一層向上させることができる。
【発明の効果】
【0025】
本発明に係る質量分析方法及び質量データ処理装置によれば、例えばペプチドやタンパク質に対するMALDI-ISD分析で得られたマススペクトルの中からz系列イオンを容易に識別することができる。これにより、マススペクトル中の一部のイオンピークの帰属を定めた上で、ピーク情報をタンパク質同定やペプチドのアミノ酸配列決定のための解析処理に供することができるので、そうした同定や配列決定の精度が向上する。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】本発明に係る質量分析データ処理装置を含むMALDI-TOFMSシステムの一実施例の概略構成図。
【図2】ANLマトリクスを使用したときのMALDI-ISD分析でz+Matrixイオンが生成されるメカニズムを説明する図。
【図3】本実施例のMALDI-TOFMSシステムにおける解析処理の手順の一例を示すフローチャート。
【図4】ANLマトリクスを用いたときのシトクロムcに対する実測のISDマススペクトルを示す図。
【図5】ANLマトリクスを用いたときのユビキチンに対する実測のISDマススペクトルを示す図。
【図6】DANマトリクスを用いたときのユビキチンに対する実測のISDマススペクトルを示す図。
【図7】SAマトリクスを用いたときのユビキチンに対する実測のISDマススペクトルを示す図。
【図8】DHBマトリクスを用いたときのユビキチンに対する実測のISDマススペクトルを示す図。
【図9】ANLマトリクスを用いたときのシトクロムc由来のISDプロダクトイオン(z15+ANL)をプリカーサイオンとした擬似MS3スペクトルを示す図。
【図10】DANマトリクスを用いたときのユビキチン由来のISDプロダクトイオン(z11+DAN)をプリカーサイオンとした擬似MS3スペクトルを示す図。
【図11】本発明の第2実施例のMALDI-TOFMSシステムにおけるペプチド解析の処理手順を示すフローチャート。
【図12】安定同位体標識マトリクスの一例を示す図。
【図13】安定同位体標識マトリクスと非標識マトリクスとを混合したマトリクスを用いたときに得られるISDマススペクトルの一例を示す図。
【図14】本発明の第2実施例の変形例のMALDI-TOFMSシステムにおけるペプチド解析の処理手順を示すフローチャート。
【図15】非標識マトリクスが付加したz系列イオン及び安定同位体標識マトリクスが付加したz系列イオンをそれぞれプリカーサイオンとして得られるMS2スペクトルの一例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0027】
[第1実施例]
以下、本発明に係る質量分析データ処理装置を含むMALDI-TOFMSシステムの第1実施例について、添付図面を参照しつつ説明する。
図1は第1実施例によるMALDI-TOFMSシステムの概略構成図である。

【0028】
図1において、MALDIイオン源1は、サンプルプレート10が載置される試料ステージ11と、引出電極13と、イオン収束電極14と、レーザ照射部15と、反射鏡16と、を含む。

【0029】
サンプルプレート10上には、測定対象物質を含み、所定のマトリクスを用いて調製されたサンプル12が形成されている。レーザ照射部15からパルス状に出射されたレーザ光は、反射鏡16を経てサンプル12上の1点(厳密には微小領域)に集光される。このレーザ光のエネルギによりサンプル12からマトリクスとともに測定対象物質が気化し、その際に測定対象物質はイオン化される。MALDI-ISD分析を行う場合には、レーザ光の強度を高め、測定対象物質がイオン化されると同時に又はその直後にイオンの開裂を促進させる。サンプルプレート10の近傍で生成された各種イオンは引出電極13とサンプルプレート10との間に形成されている電場の作用により引き出され、イオン収束電極14により加速されつつ収束されて白抜き矢印の方向に進む。

【0030】
イオントラップ2は、環状のリング電極20と、該リング電極20を挟んで配置された一対のエンドキャップ電極21、22とから成る、三次元四重極型の構成である。上記のようにMALDIイオン源1から送られてきた各種イオンはイオントラップ2の内部に形成される四重極高周波電場の作用によって一旦捕捉され、クーリング作用によりエネルギの収束が行われる。その後、所定のタイミングでエンドキャップ電極21、22間に印加される直流電圧により、各イオンに所定の初期エネルギが付与され、それらイオンはイオントラップ2から一斉に吐き出されて質量分析部3へと送られる。なお、図示しないが、イオントラップ2の内部にはアルゴンなどのCIDガスが供給されるようになっており、一時的に捕捉したイオンを共鳴励振させてCIDガスに接触させることでCIDによるイオンの開裂操作が行えるようになっている。

【0031】
質量分析部3は、イオンが飛行する飛行空間30と、イオンを反射させる電場を形成する反射器31と、イオンを検出してイオン量に応じた検出信号を出力する検出器32と、を含む。上記のようにイオントラップ2から吐き出されて質量分析部3へと送り込まれた各種イオンは、飛行空間30中を自由飛行し、反射器31により形成される反射電場の作用で折り返されて再び飛行空間30を経て検出器32に到達する。質量分析部3へ導入される時点で各イオンはその質量電荷比に応じた飛行速度を有しており、質量電荷比が小さなイオンほど、早く検出器32に到達する。

【0032】
検出器32から出力された信号はデータ処理部4に入力される。データ処理部4は、データ格納部41、z系列イオン帰属処理部42、タンパク質/ペプチド同定処理部43などの機能ブロックを含む。制御部5はサンプル12に対する質量分析を実行するために各部を制御する機能と、付設された入力部6及び表示部7を通したユーザインターフェイスの機能とを有する。なお、この制御部5及びデータ処理部4の機能の少なくとも一部は、コンピュータをハードウエア資源とし、該コンピュータにインストールされた専用のソフトウエアを実行することにより実現する構成とすることができる。

【0033】
本実施例のMALDI-TOFMSシステムでは、ペプチド又はタンパク質を測定対象物質とし、MALDIイオン源1においてインソース分解を促進させ、それによって生成されるプロダクトイオン由来のピークが観測されるマススペクトル(擬似的なMS2スペクトル)を解析することで、ペプチドのアミノ酸配列の推定又はタンパク質の同定を行う。ここで、このようなMALDI-ISD分析によって観測される特徴的なイオンについて、実測結果に基づいて説明する。

【0034】
実測条件は以下のとおりである。
(1)試料(測定対象物質):
(A) 馬由来のシトクロムc(Cytochrome c)
(B) 牛由来のユビキチン(Ubiquitin)
(試料(A)、(B)ともに水に溶解)
(2)マトリクス:
(A) 5-アミノ-1-ナフトール(ANL)(70%のアセトニトリル水溶液で調製。なお、%は体積を基準とする。以下同様。)
(B) 1,5-ジアミノナフタレン(DAN)(50%のアセトニトリル/0.1%のトリフルオロ酢酸溶液で調製。以下の(C)、(D)も同様。)
(C) シナピン酸(SA)
(D) 2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)
(3)質量分析装置:
MALDI四重極イオントラップ飛行時間型質量分析計(島津製作所製 AXIMA-Resonance)

【0035】
図4はANLマトリクスを用いシトクロムcに対して得られたISDマススペクトル、図5はANLマトリクスを用いユビキチンに対して得られたISDマススペクトル、図6はDANマトリクスを用いユビキチンに対して得られたISDマススペクトル、図7はSAマトリクスを用いユビキチンに対して得られたISDマススペクトル、図8はDHBマトリクスを用いユビキチンに対して得られたISDマススペクトルである。これらマススペクトルをみると、いずれも試料由来のz系列イオンに各マトリクスが結合したz+Matrixイオン(z+ANL、z+DAN、z+SA、z+DHB)がz系列イオンと共に検出されていることが確認できる。また、対になるz系列イオンとz+Matrixイオンとの質量電荷比差は、それぞれのマトリクスの分子量から2[Da]差し引いた値、つまり水素原子二個分の質量値となっていることが分かる。

【0036】
図9は、ANLマトリクスを用いシトクロムcに対して得られたISDマススペクトル中で観測されたz15+ANLイオンをプリカーサイオンとし、該プリカーサイオンに対しCIDを行うことで得られたMS2スペクトル(擬似的なMS3スペクトル)である。また図10は、DANマトリクスを用いユビキチンに対して得られたISDスペクトル中に検出されたz11+DANイオンをプリカーサイオンとし、該プリカーサイオンに対しCIDを行うことで得られたMS2スペクトル(擬似的なMS3スペクトル)である。なお、図1に示したシステムでは、イオントラップ2の内部において、特定の質量電荷比を有するプリカーサイオンの選択と、それに引き続くCIDを行うことができる。

【0037】
図9及び図10に示したMS2スペクトルにおいて検出されたb系列イオンは、全てb+Matrixイオン(b+ANL又はb+DAN)であり、y系列イオンにマトリクスが付加したy+Matrixイオンは検出されない。この結果から、MALDI-ISD分析において、マトリクスはペプチドのC末端側ではなくN末端側(つまりはOH基が付加している側とは反対側)に結合していることが理解できる。

【0038】
以上の結果から、例えばマトリクスとしてANLを使用した場合には、z+Matrixイオンは図2に示したメカニズムにより生成されるものと推測し得る。即ち、上述したように、特にタンパク質やペプチドを対象としたMALDI-ISD分析では、レーザ光照射によってマトリクスから脱離した水素ラジカルの作用により、試料由来のc系列イオン及びz系列イオンが生成される。水素ラジカルが脱離したANLイオンは活性が高いため、z系列イオンのN末端側に結合してz+Matrixイオンを生成する。この際に水素ラジカルが一個放出されるので、イオンの質量はz系列イオンの質量とマトリクスの質量とを加えたものより水素ラジカル二個分だけ小さくなる。その結果、ISDマススペクトルにおいては、z系列イオンと、マトリクスの質量から2[Da]を差し引いた値だけ該z系列イオンよりも高い側にz+Matrixイオンとが現れる。換言すれば、使用しているマトリクスの質量から2[Da]だけ差し引いた値を指標として、ISDマススペクトルにおいて観測される多数のイオンの中からz系列イオンとz+Matrixイオンとをペアピークとして検出することで、z系列イオンを容易に識別することが可能となる。

【0039】
上記原理を用いた本実施例のMALDI-TOFMSにおけるペプチド解析の処理手順について図3のフローチャートに沿って説明する。

【0040】
ユーザは、測定対象物質であるペプチドについて、マトリクスとしてANL、DAN、DHB、又はSAのいずれかを用いてサンプルを調製する(ステップS1)。そうして調製されたサンプル12を試料ステージ11にセットし、ユーザが入力部6において分析開始を指示すると、制御部5の制御の下に、MALDIイオン源1、イオントラップ2、質量分析部3等が動作し、所定分析条件の下でのMALDI-ISD分析が行われる(ステップS2)。

【0041】
データ処理部4においては、検出信号を順次デジタルデータに変換して得られる飛行時間スペクトルデータの飛行時間を質量電荷比に換算することでISDマススペクトルデータを取得し、これをデータ格納部41に格納する(ステップS3)。z系列イオン帰属処理部42は、データ格納部41からISDマススペクトルデータを読み出し、例えば図4、図5に示したようなISDマススペクトルを作成する(ステップS4)。次に、ISDマススペクトルについてピーク検出を行い、検出された各ピークの質量電荷比及び強度をピーク情報として収集する(ステップS5)。

【0042】
このときに収集されるピーク情報は、試料に由来する様々な種類のイオンピークの情報を含み、試料由来のz系列イオンや上述したz+Matrixイオンによるピークの情報も含まれる。そこで、z系列イオン帰属処理部42は、質量差が、既知であるANLマトリクスの質量から2[Da]を差し引いた値に対し所定のマージンを加えた所定範囲に収まるような二本のピーク(ペアピーク)を全て探索する(ステップS6)。上述したように、検出されたペアピークは、試料由来のz系列イオンとz+Matrixイオンである可能性が高いから、そのペアピークのうちの質量電荷比が小さいほうをz系列イオンピークとして帰属させ、質量電荷比が大きいほうをz+Matrixイオンピークとして帰属させる(ステップS7)。即ち、ISDマススペクトルから得られたピーク情報の中で、一部のピークの帰属が決定される。

【0043】
そうした帰属の情報を含めたピーク情報がタンパク質/ペプチド同定処理部43に送られる。タンパク質/ペプチド同定処理部43はそうしたピーク情報に基づいて例えばデータベース検索或いはデノボシーケンスサーチを行うことにより、例えばペプチドのアミノ酸配列を推定したりタンパク質を同定したりする(ステップS8)。タンパク質/ペプチド同定処理部43において使用されるアルゴリズムが何であるのかに拘わらず、多数のピークがどのような種類のイオン由来のものであるのかが全く不明であるとアミノ酸配列推定やタンパク質同定の精度が低くなる。それに対し、本実施例のシステムでは、少なくともz系列イオンに関する帰属情報がタンパク質/ペプチド同定処理部43に供されるので、これを一つの手掛かりとしてアミノ酸配列の推定やタンパク質同定を行うことができ、それ故にアミノ酸配列推定やタンパク質同定の精度を高めることができる。

【0044】
[第2実施例]
上記第1実施例では、ISDマススペクトルにおいて検出された多数のピークの中でz系列イオンとz+Matrixイオンとに由来するペアピークを探索していたが、例えば夾雑物などに由来するノイズピークが多い状況ではz系列イオンではない偽のペアピークが検出される可能性が高くなる。そこで、本発明の第2実施例によるMALDI-TOFMSでは、真のz系列イオンピークの検出精度を上げるために、安定同位体標識マトリクスを利用したプロダクトイオン識別手法を導入する。なお、この第2実施例によるMALDI-TOFMSの装置構成は基本的に第1実施例によるMALDI-TOFMSと同じであるので、装置構成の説明を略す。

【0045】
図11は第2実施例のMALDI-TOFMSシステムにおけるペプチド解析の処理手順を示すフローチャートである。
この第2実施例のシステムを用いた解析の際には、サンプル調製のために特殊なマトリクスを用いる。即ち、図12に示すように、安定同位体元素13Cや15Nを用いて安定同位体標識したマトリクス(Matrix*)と非標識のマトリクスとを用意し、これらを例えば1対1の比率で以て混合した混合マトリクス(Matrix/Matrix*)を調製する。そして、この混合マトリクス(Matrix/Matrix*)を用いてサンプルを調製する(ステップS11)。そのあと、このサンプルに対しMALDI-ISD分析を実行してISDマススペクトルを取得し、ピーク検出を行うまでの処理(ステップS12~S15)は上記第1実施例におけるステップS2~S5と同じである。

【0046】
サンプル中の安定同位体標識マトリクスと非標識マトリクスとは同量であるため、ISDマススペクトルには、安定同位体標識元素の質量及び数に応じた質量差でz+Matrixイオンとz+Matrix*イオンとがほぼ同じピーク強度でペアピークとして観測される。そのため、図13に示すように、ISDマススペクトルには、z系列イオン、z+Matrixイオン、及びz+Matrix*イオンという三本のピークからなるトリプレットピークが現れる。そこで、z系列イオン帰属処理部42は、低質量電荷比側から順に、マトリクス質量-2[Da]の質量差Δm、及び安定同位体標識元素の質量に相当する質量差Δm#を有して並び、且つ2番目と3番目のピーク強度がほぼ同じである(実際には、同じであるとみなせる所定の強度差範囲に収まる)ようなトリプレットピークを全て探索する(ステップS16)。

【0047】
上述したように、検出されたトリプレットピークは、試料由来のz系列イオン、z+Matrixイオン、及びz+Matrix*イオンである可能性が高いから、そのトリプレットピークの中の質量電荷比が最小であるものをz系列イオンピークとして帰属させ、次に質量電荷比が大きいものをz+Matrixイオンピークとして帰属させ、質量電荷比が最大であるものをz+Matrix*イオンピークとして帰属させる(ステップS17)。そのあとに、そうした帰属の情報を含めたピーク情報を用いて、タンパク質/ペプチド同定処理部43はペプチドのアミノ酸配列を推定したりタンパク質を同定したりする(ステップS18)。

【0048】
この第2実施例では、マトリクスの調製等に手間が掛かるものの、ペプチド由来のz系列イオンの識別が第1実施例に比べて高精度に行えるので、ペプチドのアミノ酸配列推定やタンパク質同定の精度も向上する。

【0049】
[第2実施例の変形例]
上述したように、MALDI-ISD分析において、マトリクスはペプチド由来のz系列イオンのN末端側に特異的に結合する。このことを利用し、インソース分解で生成したイオンをさらにCIDによって開裂させたプロダクトイオンを観測した結果を解析すれば、z系列イオン以外の系列のイオンの識別も可能となる。
図14は第2実施例の変形例であるMALDI-TOFMSシステムにおけるペプチド解析の処理手順を示すフローチャートである。このフローチャートに従った処理は上記ステップS17の実行後に加えればよい。

【0050】
ペプチド由来のz+Matrixイオン及びz+Matrix*イオンが得られたならば、制御部5による制御の下に、これらイオンをそれぞれプリカーサイオンとしたMS2分析を実行する(ステップS21)。即ち、ペプチド由来の各種イオンをイオントラップ2に一旦捕捉した後、特定の質量電荷比を有するz+Matrixイオンのみをプリカーサイオンとして選択し、その後にCIDガスをイオントラップ2に導入してプリカーサイオンを開裂させる。そうして得られた各種のプロダクトイオンを質量分析部3へ送り込んで質量分析する。また、z+Matrix*イオンについても同様にMS2分析を行う。そして、それぞれMS2スペクトルデータを収集する(ステップS22)。
なお、これらデータは1回のCID操作に対応したデータであるという意味ではMS2スペクトルデータであるが、CID操作に先立ってインソース分解により開裂しているので、実質的にはMS3分析によって得られるのと同等のデータであり、その意味で擬似的なMS3スペクトルデータであるといえる。

【0051】
z系列イオン帰属処理部42はMS2スペクトルデータに基づいてそれぞれMS2スペクトルを作成し(ステップS23)、それらマススペクトルにおいて観測されるピークを検出し、ピーク情報を収集する(ステップS24)。図15はz+Matrixイオン、z+Matrix*イオンをプリカーサイオンとして得られる二つのMS2スペクトル(擬似的なMS3スペクトル)の一例である。マトリクスはz系列イオンのN末端側に結合しているため、N末端を含むa/b/c系列のプロダクトイオンはそれぞれ非標識マトリクス、安定同位体標識マトリクスが付加したイオンとして検出される。そして、二つのMS2スペクトルにおいて互いに対応付けられるa/b/c系列のプロダクトイオン由来のピークは、プリカーサイオンに含まれる安定同位体標識元素の質量及び数に応じた質量差を有する。図15ではbn~bn+5イオンがこれに相当する。

【0052】
そこで、上記のようにして得られた二つのMS2スペクトルの間で質量電荷比差が安定同位体標識元素の質量及び数に応じたものであり、且つピーク強度のパターンが一致するような一連のピーク群を探索する(ステップS25)。そして、そうしたピークが見つかったならばそれはa/b/c系列のプロダクトイオン由来のピークであるとして帰属を定める(ステップS26)。

【0053】
一方、N末端を含まない、つまりC末端側のx/y/z系列のプロダクトイオンにはマトリクスは結合していないので、上記二つのMS2スペクトルにおいて同じ質量電荷比においてピークが観測される。図15ではyn~yn+5イオンがこれに相当する。そこで、上記のようにして得られた二つMS2スペクトルの間で同じ質量電荷比の位置に存在し、且つピーク強度のパターンが一致するような一連のピーク群を探索する(ステップS27)。そして、そうしたピークが見つかったならばそれはx/y/z系列のプロダクトイオン由来のピークであるとして帰属を定める(ステップS28)。

【0054】
このようにMS2スペクトルを利用することで、a/b/c系列とx/y/z系列のプロダクトイオンの識別を容易に行うことができる。このようにして得られたピーク情報も併せて利用することで、ペプチドのアミノ酸配列の推定や構造解析の精度を向上させることができる。

【0055】
なお、z系列イオンをプリカーサイオンとしたMS2スペクトルとz+MatrixをプリカーサイオンとしたMS2スペクトルとについて、マトリクス質量-2[Da]の質量差を有するピークを見つけることにより、a/b/c系列とx/y/z系列のプロダクトイオンの識別をすることも可能ではあるものの、マトリクスが付加したa/b/c系列のプロダクトイオンは必ずしも適切に識別できるとは限らない。何故なら、z+Matrixイオンはマトリクスが付加していることによってイオンの性質がz系列イオンとは異なることがあり、そのためにMS2スペクトル上でz系列イオンのスペクトルパターンとz+Matrixイオンのスペクトルパターンとはかなり異なる可能性があるからである。これに対し、非標識マトリクスと安定同位体標識マトリクスとの性質はほぼ同じであるため、z+Matrixイオンのスペクトルパターンとz+Matrix*イオンのスペクトルパターンとはほぼ等しくなり、安定同位体標識の質量差によるa/b/c系列のプロダクトイオンの識別は容易である。

【0056】
なお、上記実施例はいずれも本発明の一例にすぎないから、本発明の趣旨の範囲で適宜に修正、変更、追加などを行っても本願請求の範囲に包含されることは明らかである。
例えば、上記実施例のシステムはイオントラップを備えていたが、インソース分解のみでCIDを実行しない場合にはイオントラップは不要である。また、CIDを伴うMS2分析を実行するためにイオントラップ飛行時間型質量分析計の構成ではなく、飛行時間型質量分析計を直列に接続した、いわゆるTOF-TOFの構成としてもよい。即ち、イオン源としてMALDIイオン源を用いさえすれば、質量分析部は様々な構成を採り得る。
【符号の説明】
【0057】
1…MALDIイオン源
10…サンプルプレート
11…試料ステージ
12…サンプル
13…引出電極
14…加速電極
15…レーザ照射部
16…反射鏡
2…イオントラップ
20…リング電極
21、22…エンドキャップ電極
3…質量分析部
30…飛行空間
31…反射器
32…検出器
4…データ処理部
41…データ格納部
42…z系列イオン帰属処理部
43…タンパク質/ペプチド同定処理部
5…制御部
6…入力部
7…表示部
図面
【図1】
0
【図2】
1
【図3】
2
【図4】
3
【図5】
4
【図6】
5
【図7】
6
【図8】
7
【図9】
8
【図10】
9
【図11】
10
【図12】
11
【図13】
12
【図14】
13
【図15】
14