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明細書 :昆虫の休眠卵誘導剤およびその休眠卵産出方法

発行国 日本国特許庁(JP)
公報種別 特許公報(B2)
特許番号 特許第3475239号 (P3475239)
公開番号 特開2002-068916 (P2002-068916A)
登録日 平成15年9月26日(2003.9.26)
発行日 平成15年12月8日(2003.12.8)
公開日 平成14年3月8日(2002.3.8)
発明の名称または考案の名称 昆虫の休眠卵誘導剤およびその休眠卵産出方法
国際特許分類 A01N 63/00      
A01K 67/033     
A01K 67/04      
A01N 25/00      
A01N 37/46      
C07K 14/435     
FI A01N 63/00 A
A01K 67/033
A01K 67/04
A01N 25/00
A01N 37/46
C07K 14/435
請求項の数または発明の数 5
全頁数 13
出願番号 特願2000-261112 (P2000-261112)
出願日 平成12年8月30日(2000.8.30)
新規性喪失の例外の表示 特許法第30条第1項適用申請有り 平成12年4月4日、東京大学農学部において開催された(社)日本蚕糸学会主催の日本蚕糸学会第70回学術講演会において、文書をもって発表
審査請求日 平成12年8月30日(2000.8.30)
特許権者または実用新案権者 【識別番号】501167644
【氏名又は名称】独立行政法人農業生物資源研究所
発明者または考案者 【氏名】塚田 益裕
【氏名】清野 敦
【氏名】鈴木 幸一
【氏名】安 嬰
【氏名】宋 紅生
個別代理人の代理人 【識別番号】100119585、【弁理士】、【氏名又は名称】東田 潔 (外2名)
審査官 【審査官】星野 紹英
参考文献・文献 特開 平5-86095(JP,A)
特開2000-342254(JP,A)
特開2001-261572(JP,A)
特開 平5-227967(JP,A)
特開 平11-255799(JP,A)
調査した分野 A01N 63/00
A01K 67/00
A01N 25/00
A01N 37/00
C07K 14/435
特許請求の範囲 【請求項1】
配列表の配列番号1に示すアミノ酸配列、Glu-Asn-Phe-Ala-Gly-Gly-Cys-Ala-Thr-Gly-Phe-Met-Arg-Thr-Ala-Asp-Gly-Arg-Cys-Lys-Pro-Thr-Phe-を有し、C末端が遊離酸化され、分子量が2435.73であるペプチドを有効成分として含有することを特徴とする昆虫の休眠卵誘導剤。

【請求項2】
前記昆虫がカイコである請求項1記載の昆虫の休眠卵誘導剤。

【請求項3】
前記ペプチドが天蚕幼虫体液由来の昆虫麻痺性ペプチドである請求項1または2記載の昆虫の休眠卵誘導剤。

【請求項4】
ヨトウガ1種のプラズマ細胞拡散ペプチドI(Psi PSP I)又はアワ阻害ペプチド(Pss GBP)のいずれかを有効成分として含有することを特徴とする昆虫の休眠卵誘導剤。

【請求項5】
蛹化後72~96時間のステージのカイコの非休眠卵産出蛹に、請求項1~3のいずれかに記載のペプチド150~300 nmoles/蛹1頭を投与し、該蛹を生育し、羽化した雌を雄と交尾させ、その後産卵させて休眠卵を得ることを特徴とする休眠卵の産出方法。
発明の詳細な説明 【発明の詳細な説明】

【0001】

【発明の属する技術分野】本発明は、昆虫の休眠卵誘導剤およびその休眠卵産出方法に関し、特にカイコ用休眠卵誘導剤およびカイコ休眠卵産出方法に関する。

【0002】

【従来の技術】昆虫由来で、いわゆる生体防御物質として知られている抗菌性ペプチドは、200種類以上にもおよび、それらの多くが単離され、構造決定されている。本明細書では、野蚕およびカイコの休眠誘導機能を持つ生理活性物質であるタンパク質を対象とするため、以下、昆虫の休眠を誘導する機能を有する物質を中心に説明し、発明の背景の理解が容易になるようにする。

【0003】
従来から、昆虫の麻痺性ペプチドは知られている。この麻痺性ペプチドという用語は、活性画分を生体外から注射することにより、体の全体または一部分が収縮し、麻痺性行動を惹起するような活性ペプチドの総称として用いられている。近年、これらの既知ペプチドにおいて、麻痺性活性以外に、生体防御系に関与する活性が見出されたことから、生体内では多機能性があると考えられるようになり、昆虫ペプチドの中でも注目されるようになっている。

【0004】
「麻痺性ペプチド」、「休眠制御物質」というように、本明細書では同一の物質でありながらも異なる用語で用いられる場合があるため、以下、これらの用語の定義をする。

【0005】
従来、昆虫由来の麻痺性ペプチドファミリーとしては10種類が知られていた。最近、天蚕の5齢幼虫体液から単離同定された天蚕麻痺性ペプチド(Seino, A. etal., J. Seric. Sci. Jpn., 67, 473-478, 1998.)が、その一次構造のアミノ酸配列と麻痺性の生理活性とから、新にこのファミリーに加えられた(Strand, M.R. et al., J. Insect Physiol., 46, 817-824, 2000)。従って、本明細書では、天蚕由来の麻痺性ペプチドは、昆虫由来の麻痺性ペプチドファミリーの一つとして位置付けて説明する。しかし、前記Seinoらは、ペプチドを単離・同定し、それが麻痺性機能を持つことを既に明らかにしているので、混乱をさけるために、本明細書では、このペプチドを「天蚕麻痺性ペプチド」の代わりに「休眠制御物質」と呼ぶこともある。

【0006】
昆虫の生理活性ペプチドの中で、麻痺性ペプチドファミリーと呼ばれているものには、例えば、以下のものがある。すなわち、ヨトウガの1種からのプラズマ細胞拡散ペプチド(Clark K. D et al., J. Biol. Chem., 272, 23440-23447, 1997)、アワヨトウからの発育阻害ペプチド(Hayakawa, Y., J. Biol. Chem., 266, 7982-7984, 1991)、ヨトウガとハスモンヨトウからの発育阻害ペプチド(Hayakawa and Ohnishi, Biochem. and Biophys. Res. Commun., 250, 194-199, 1998)、タバコスズメガ・タバコガ・シロイチモンジヨトウからの麻痺性ペプチド(Skinner W. S. et al., J. Biol. Chem., 266, 12873-12877, 1991)、ウワバの1種からの麻痺性ペプチド(Skinner W. S. et al., Biochem. Physiol., 104C, 133-135, 1993)、ヨトウガの1種からの心縮性ペプチド(Furuya et al., Peptides, 20, 53-61, 1999)、そしてカイコからの麻痺性ペプチド(Ha et al., Peptides, 20, 561-568, 1999)が知られている。

【0007】
これまでに知られている昆虫麻痺性ペプチドファミリーの中で、麻痺性機能が最も大きいものとして、配列番号1に示すアミノ酸配列を持つ天蚕由来の麻痺性ペプチドである休眠制御物質がある。そのため、本明細書では、配列番号1に示すペプチドを天蚕の休眠制御物質と略記することもある。

【0008】
19世紀に、養蚕のための実用的な孵化技術として塩酸を用いてカイコ卵を孵化させる、いわゆる「塩酸孵化法」が確立されているが、孵化メカニズムの詳細は現在に至っても未だ明らかにされていない。また、天蚕の人工孵化法が開発されたものの、その分子機構は全く解明されていない。本発明者らが進めているカイコの生理活性蛋白質の開発は、昆虫における人工孵化機構を解明するための糸口となるだけでなく、下記に述べるように表裏一体の関係にある長期低温の機構解析への道をも切り拓くことになる。

【0009】
昆虫のみならず温帯地方に生息する多くの休眠する生物にとって、長期低温順化機構は、生物における人工孵化機構を解明することと表裏一体の関係にあるものであり、重要な生活史調節のための環境シグナルになっている。植物種子の春化機構もその1つの例であるといえる。短期低温順化や長期低温順化に関し、分子レベルからみた低温刺激について、最近活発に研究されている。植物界においては各種のcDNAが決定されるようになり、推定アミノ酸配列から、RNA結合タンパク質、伸長因子、あるいは耐凍タンパク質などが重要な働きを持つものと考えられている。しかし、長期低温順化による生体反応および、休眠覚醒を決定的に説明する遺伝子とタンパク質は未だ発見されていない。

【0010】

【発明が解決しようとする課題】ところで、インド、ベトナム、タイなどの主要な生糸生産国では、年中桑が栽培でき、しかもカイコの品種が卵で休眠しない非休眠系統で育成されている。従って、一年中、次ぎから次ぎへとカイコ飼育に追われている。しかし、いかに南方と言えども、1~3月には桑の生育状況が悪く、しかも蚕室を消毒する期間を設定することも困難であることから、1~3月の生産量は少なく、品質も低下する上、これが原因となり次ぎのカイコ飼育にも悪影響を及ぼしている。この悪循環を克服するためにカイコ飼育を一旦停止しなければならないが、これらの国のカイコは非休眠系統であり、休眠できない。このことが、カイコを飼育し、生糸を製造する蚕糸業において大きな問題となっており、これらの国のカイコ品種を休眠させる技術が強く求められてきた。しかるに、昆虫由来の生理活性物質であって、カイコの休眠を制御でき、その結果、休眠卵を産出させることができるような新規物質の歴史は浅く、新規物質に関する知識は少なく、未だ満足すべき物質は得られておらず、有用な休眠卵誘導物質の開発が望まれている。

【0011】
上記したように、休眠・発育・変態を誘導する物質の機能については次第に明らかにされてきた。本発明者らは、すでに単離・構造決定した天蚕の麻痺性ペプチドもまた休眠・発育・変態の機構を解析する上で、鱗翅目昆虫では重要なペプチドであると考えている。これまでに発見されている昆虫の麻痺性ペプチドファミリーと呼ばれるものの中には、ヨトウガの1種のプラズマ細胞拡散ペプチドのように、生体防御系に深く関与したり、アワヨトウの発育阻害ペプチドのように、幼虫の発育遅延ならびに蛹休眠の直接のプロモーターと考えられているものも存在している。しかしながら、カイコ休眠卵を誘導する物質は未だ見出されておらず、有用なカイコ休眠卵誘導物質の開発が望まれている。

【0012】
また、上記したように、昆虫の休眠性・麻痺性行動を制御する生理活性物質としては、ヨトウガの1種からのプラズマ細胞拡散ペプチド、アワヨトウからの発育阻害ペプチド、ヨトウガとハスモンヨトウからの発育阻害ペプチド、タバコスズメガ・タバコガ・ヨトウガの1種からの麻痺性ペプチド、ウワバの1種からの麻痺性ペプチド、ヨトウガの1種の心縮性ペプチド、そしてカイコからの麻痺性ペプチドがある。しかし、これらの従来のペプチドについては、カイコで休眠卵を産出させる効果はまったく報告されていないことから、カイコ休眠ホルモン以外で、休眠卵を産出させるペプチドに関して、昆虫由来の生理活性物質であり、昆虫の生理状態を攪乱させることなく、正常に保ちながら休眠卵を効率的に生じさせる生理活性物質の出現が強く望まれている。

【0013】
次ぎに、カイコの化性との関係で問題点を説明する。これまで我が国において養蚕のために飼育されてきたカイコは、2化性・多化性系統と、多収性の遺伝的特性とが導入されている交雑種と呼ばれているものであり、形質表現上は、1化性である。一般に、2化性・多化性の系統は1化性系統と比較して、多収性の能力が劣る。しかし、2化性・多化性系統も耐病性および高温耐性などの優れた遺伝的特性を所有することから、今日のカイコの交雑種に原原種などとしてその特性が導入されている。

【0014】
一方、今日では世界的生糸生産国になっているインド、タイ、ベトナムなどの東南アジアを中心とした国々のカイコの系統品種は、多化性の遺伝的特性を有するものである。これらのカイコは、多化性系統品種であるが故に耐病性や高温耐性に優れてはいるが、逆に多収性に劣り、しかも飼育不適切な時期でも年中飼育を繰り返さなければならないという問題がある。これらの国々のカイコの系統品種の弱点を克服するためには、長い時間を必要とする選抜育種の方法を導入するのではなく、多化性系統の品種を随時休眠させる昆虫発育制御剤の開発が強く望まれてきた。従って、21世紀には、中国・ブラジルから東南アジアを中心とした地域に生糸の主要生産がますますシフトされていくと予想されている中で、多化性系統品種を随時休眠化できる方法が開発されれば、生糸の世界産業レベルにおいて重要な技術になり得ると考えられる。

【0015】
本発明は、昆虫(例えば、カイコ)の休眠卵を産出させる機能を持つと共に、生体の生理状態を攪乱させることのない、昆虫(例えば、カイコ)の休眠卵誘導剤およびその休眠卵産出方法を提供することを課題とする。

【0016】

【課題を解決するための手段】本発明者らは、同一出願人の先の出願(特願平11-152273号;特許第3023790号)において、前幼虫休眠タイプの天蚕、マイマイガ、ウスバシロチョウ、オビカレハ、カシワマイマイ等の鱗翅目昆虫および直翅目昆虫を中心とした40種以上の広範な昆虫(これらの前幼虫休眠タイプの昆虫としては、梅谷与七郎、蚕の越冬卵より見たる昆虫の卵態越冬現象、蚕糸試験場報告、12:393-481 (1946)およびUmeya Y., Studies on embryonic hibernation and diapause in insects,Proc.Jpn. Acad., 26,1-9 (1950)に記載されている)に特異的かつ効率的に作用する休眠制御活性を有する生理活性物質に関する発明について明らかにした。本発明者らは、その後、この生理活性物質が生体細胞の効率的な制御活性、例えば、ガン細胞の効率的な増殖抑制活性を有するものであることを見出した。すなわち、上記先願発明における遺伝子Any-RFは、配列表の配列番号1に示すアミノ酸配列、Asp-Ile-Leu-Arg-Glyを有し、C末端がアミド化されており、分子量が570.959であるタンパク質をコードするものであり、本発明者らはこの生理活性物質がガン細胞の増殖を効率的に抑制すること、ひいては生体細胞を効率的に制御する活性を有することを見出して、特許出願をした(特願2000-81012号)。

【0017】
本発明者らは、カイコの休眠状態を維持し、さらに細胞制御活性を有する生理活性物質を先の出願の主題としたが、その後、天蚕麻痺性ペプチドについてカイコ休眠ホルモンの機能である休眠誘導が模倣されていることを見出した。これは、本発明者らが先願発明の中で述べた、休眠状態を維持する機能ではなく、あくまでも休眠ホルモンに似せた機能である。このような技術的背景の下、本発明者らは、天蚕幼虫から単離・精製した、カイコの休眠卵産出を誘導する物質を有効成分として本発明を完成するに至ったのである。

【0018】
本発明の昆虫(特に、天蚕)用休眠卵誘導剤は、配列表の配列番号1に示すアミノ酸配列、Glu-Asn-Phe-Ala-Gly-Gly-Cys-Ala-Thr-Gly-Phe-Met-Arg-Thr-Ala-Asp-Gly-Arg-Cys-Lys-Pro-Thr-Phe- を有し、C末端が遊離酸化されており、分子量が2435.73であるペプチドを有効成分として含有するものである。この有効成分は、例えば、天蚕を含む鱗翅目昆虫の体液から血球を除き、エタノールで終濃度25%にし、遠心上清を粗抽出物として採取し、凍結乾燥した後、乾燥物をカートリッジC18Sep-Pak Vacで溶出し、HPLC操作を3回繰り返すことにより、単離精製物として得ることができる。あるいはまた、公知のペプチド合成装置を用いて公知の方法に従って調製することもできる。

【0019】
前記有効成分であるペプチドは、天蚕幼虫体液由来の昆虫麻痺性ペプチドである。

【0020】
また、本発明の昆虫用休眠卵誘導剤は、ヨトウガ1種のプラズマ細胞拡散ペプチドI(Psi PSP I)又はアワヨトウ発育阻害ペプチド(Pss GBP)のいずれかを有効成分として含有するものである。

【0021】
さらに、本発明の休眠卵産出方法は、カイコの非休眠卵産出蛹の蛹化後72~96時間のステージのものに、前記ペプチド150~300 nmoles/蛹1頭を投与し、該蛹を生育し、羽化した雌を雄と交尾させ、その後産卵させて休眠卵を得ることからなる。このように、蛹の卵黄形成期である72~96時間のステージの蛹に該ペプチドを適用することにより、得られる休眠卵の誘導率を60%以上とし、未受精卵の発生率を2.5~3%レベルより低くすることができる。なお、96時間を超えると、卵黄形成期のステージのものが減少するので、休眠卵誘導率も低下する。

【0022】

【発明の実施の形態】本発明者らは、上記した先願発明において、昆虫から単離された生理活性物質が昆虫の休眠を維持する機能のあることを明らかにした。本発明の内容を詳細に記述するのに先立って、本発明の理解を容易にするために、先願発明の概要を先ず繰り返し説明する。

【0023】
先ず、天蚕・柞蚕等の野蚕一般の産業上の特徴について述べる。天蚕(正式和名:ヤママユ、学名:Antheraea yamamai Guerin-Meneville)は、わが国を原産地とし、江戸時代から飼育の記録があり長い歴史を持つこと、最近人工飼料が開発されて幼虫の飼育が容易になったこと、農家段階で一般的に飼育されていることから、飼育に関する情報が多く、しかも入手が容易であると共に、年1回発生し、卵で越年する。カイコ幼虫が専ら桑の葉を食べて生長するのに対して、天蚕はクヌギ、コナラ、カシワ、アベマキ等の葉を食べる。養蚕農家が家蚕幼虫を飼育するのに対して、野生の天蚕幼虫は、自然状態で生育する。天蚕種の孵化率は低く、繭糸から絹糸となる割合(糸歩)は極めて少ない。また、繭糸をとる作業が困難であるため、希少価値としての意義がある。天蚕絹1kgの価格が20万円とも30万円ともいわれ、絹のダイヤモンドと呼ばれるほど希少価値があるのはこのためである。野蚕である柞蚕絹糸の配合率が増加した絹織物では糸の滑りが抑えられ、縫目の滑脱抵抗が改善できる。また、野蚕の絹織物は摩擦に強いため好んで用いられる。そのため、将来、絹糸を生産する大型昆虫の天蚕を利用した分野の発展が大いに期待され、それに伴い天蚕由来の各種機能を持つ生理活性物質を単離したり、生理活性物質の構造を決定する学術研究の重要性はますます高まっている。

【0024】
こうした観点から、本発明者らは、天蚕由来の生理活性物質の研究を進めたところ、先願発明のように、休眠中の天蚕前幼虫から、アミノ酸配列が5個でC末端が遊離酸化されたまったく新規の休眠制御物質を単離構造決定することに成功した。この物質の生理活性としては、天蚕前幼虫の休眠状態を維持するための機能を有していることを明らかにすると共に、さらに、ラットの肝ガン細胞の増殖を抑制するという新たな生理活性機能をも明らかにした。このことから、天蚕由来の休眠制御物質には広い普遍性が有り、しかも生細胞の増殖制御剤として、応用開発のための優れたリード化合物になり得るものである。

【0025】
また、本発明者らは、天蚕の麻痺性ペプチドに関する成果を報告した(前記Seino et al., 1998)。すなわち、天蚕休眠前幼虫の体液抽出物を前幼虫に注射したところ、注射した部位に麻痺性活性が認められたこと、5齢幼虫の体液抽出物でも同様の活性が確認できたことを確認した。その後の研究において、5齢幼虫の体液抽出物から活性因子を単離し、一次構造を決定した。一次構造の決定された23残基からなるペプチド、NH2-Glu-Asn-Phe-Ala-Gly-Gly-Cys-Ala-Thr-Gly-Phe-Met-Arg-Thr-Ala-Asp-Gly-Arg-Cys-Lys-Pro-Thr-Phe-COOHは、下記に述べるように、鱗翅目の麻痺性ペプチド、プラズマ細胞拡散ペプチド、発育阻害ペプチドと高い相同性を示したので、麻痺性ペプチドの一種であると結論した。本発明におけるペプチドは、鱗翅目昆虫において普遍的に存在する可能性が高いため、カイコ(大造)の5齢幼虫に上記アミノ酸構造を有する合成ペプチドを注射し活性を調査したところ、同様の効果が認められた。

【0026】
そこで、天蚕幼虫体液から麻痺性ペプチドとして単離し、構造決定することができたペプチド(上記Seino et al., 1998)を、カイコの非休眠卵産出蛹に注射したところ、休眠卵が産出された。「非休眠卵産出蛹」とは、蛹が成虫になり、交尾後産下した卵が約10日前後で孵化するような卵を生む雌親の蛹のことをいう。これとは反対に、産下した卵が孵化せず、卵内で原腸胚後期で発育を停止した状態で休眠するような卵を生む雌親の蛹のことを以下、「休眠卵産出蛹」という。このようにして休眠卵が産出されるということは、上記天蚕麻痺性ペプチドには、これまで単離されて構造決定されたり、またはcDNAからその存在が予想されていた昆虫の麻痺性ペプチドファミリーについて報告されている生理活性とは全く異なる新規の生理活性があるということを示すものである。というのは、上記したように、昆虫の麻痺性ペプチドファミリーの生理活性機能が多様であるということと共に、カイコの卵休眠を誘導するホルモンシステムはすでに確立されたものであるが、本発明の場合は、以下説明するように、従来の麻痺性ペプチドとは全く類似性のないアミノ酸配列から構成されているホルモンで誘導されているからである。

【0027】
カイコの麻痺性行動は、カイコ麻痺性ペプチドや天蚕麻痺性ペプチドにより誘導される。しかし、カイコの卵休眠という現象は、この麻痺性行動とはまったく異なっており、カイコ独特のホルモンシステムで説明されている。カイコの卵休眠の場合は、雌蛹の食道下神経節から休眠ホルモンが分泌され、それが卵巣に作用すれば、産下した卵は原腸胚後期で発育停止し、休眠がスタートする。この休眠ホルモンは、24個のアミノ酸からなりN末端がアミド化されている分子量2645のペプチドであると報告されている(Imai, K. et al., Proc. Japan Acad., 67(B), 98-101, 1991.)。このペプチドホルモン1.5 ngを非休眠卵産出蛹(この場合、N4という非休眠系統が使用されている)に注射したところ、20%の休眠卵が生産された(前記Imai et al., 1991)。カイコの休眠ホルモンのトレハレース活性化機構および休眠誘導機構からして、このホルモンがカイコの真の休眠誘導のためのペプチドであるということは疑う余地が無い。

【0028】
一方、公知の休眠ホルモンを用いることなく、全く別の化学合成物質によりカイコの非休眠卵産出蛹から休眠卵を産出させることも可能である。例えば、Na+-K+-ATPaseを特異的に阻害するウアバインを蛹化1~3日目の非休眠卵産出蛹(N4と大造系統を使用)に10~20 nmolesを経皮を通して注射すると、約70%の休眠卵が産出されることが知られている。休眠ホルモンの分泌器官である食道下神経節を予め摘出しておくと、休眠卵を産出することはないので、この現象はウアバインが中枢神経系に作用し、食道下神経節から休眠ホルモン分泌を促進した結果であると考えられる。

【0029】
また、本発明者らは、カイコの休眠ホルモンとは機能も構造も全く異なる生理活性物質である天蚕由来の「天蚕麻痺性ペプチド」を非休眠卵産出蛹に注射することにより、カイコの休眠卵が産出され得ることを見出し、本発明の休眠卵産出方法を開発するに至った。また、休眠ホルモンの分泌センターである食道下神経節をカイコ体内から予め摘出除去しておくことにより、同様にカイコの休眠卵を産出できることも確認した。このことは、天蚕麻痺性ペプチドはウアバインとは違って、カイコ休眠ホルモンと同じ機能を有する生理活性物質であることを実証するものである。また、昆虫の麻痺性ペプチドファミリーが多様な機能を有することを指摘するものでもあり、将来、害虫および有益昆虫の発育・変態・休眠・生殖を制御する新しい成長制御剤の開発のためには極めて重要なリード化合物になり得る可能性を示唆するものである。すなわち、カイコの休眠ホルモンはカイコの卵休眠誘導のみにしか作用しないが、天蚕の麻痺性ペプチドは、麻痺行動、血球細胞拡散機能、幼虫発育遅延機能、心縮性機能を誘発し、しかも本発明で見出されたカイコでの休眠卵産出という新しい機能まで有していることを示すものである。

【0030】
以上のことから、本発明の生理活性物質、または合成した天蚕麻痺性ペプチドは、カイコの休眠卵を安定して産出するための技術開発に役立つことがわかる。また、このペプチドをリード化合物とすれば昆虫成長制御剤を開発するためにも役立ち、さらに多くの生物に普遍的である休眠という現象を、タンパク質の高次構造ならびにレセプターとの分子機構から解明するためにも有効である。かくして、天蚕麻痺性ペプチドは有用な昆虫ペプチドといえる。

【0031】
なお、以下の実施例で用いる天蚕麻痺性ペプチドおよびその他の公知昆虫麻痺性ペプチドファミリーは、以下のアミノ酸配列を有する。

【0032】

JP0003475239B2_000002t.gif上記アミノ酸配列において、天蚕麻痺性ペプチドAny ParPと異なるアミノ酸配列の場合、その部分のアミノ酸にアンダーラインを引いてある。

【0033】
また、カイコ休眠ホルモン(Bom DH)のアミノ酸配列は次の通りである。

【0034】

JP0003475239B2_000003t.gif上記したように、天蚕麻痺性ペプチド(Any ParP)の場合は、N末端から12番目のアミノ酸がメチオニンであり、このメチオニンがリジンに置換しているのがカイコ麻痺性ペプチド(Bom ParP)およびタバコスズメガ麻痺性ペプチドII(Mas ParPII)である。カイコ麻痺性ペプチド(Bom ParP)はまた、4番目のアミノ酸がアラニン(Any ParPの場合)からバリンに置換している。さらに、カイコ休眠ホルモン(Bom DH)のアミノ酸配列はN末端から19番目のアミノ酸が唯一システインであるということ以外、昆虫麻痺性ペプチドファミリーとの相同性はほとんどない。

【0035】
上記天蚕麻痺性ペプチド(学名と生理機能の略字からAny ParPと略記され、以後略字を使用することもある)、カイコ麻痺性ペプチド(Bom ParP)、タバコスズメガ麻痺性ペプチドII(Mas ParPII)、ヨトウガ1種のプラズマ細胞拡散ペプチドI(Psi PSPI)、アワヨトウ発育阻害ペプチド(Pss GBP)、ヨトウガ1種の心縮性ペプチド(Spe CAP)を定法に従って合成し、以下の実施例で用いた。

【0036】
本発明における麻痺性ペプチドは、以下の通り公知の投与法で適用できる。2化性系統大造の非休眠卵産出蛹の蛹化後80~85時間のステージのものを使用した。その理由は、実験のためには生理活性物質の標的器官である蛹卵巣に存在している最適感受ステージを選択することが最適だからである。天蚕麻痺性ペプチド150 nmolesを30μlの滅菌蒸留水に溶解し、これを腹部の第2と第3の関節間膜の背面に注射したものを実験区とした。また、カイコ休眠ホルモンの分泌器官である食道下神経節には、非休眠卵産出蛹といえども休眠ホルモンが合成・蓄積されているので、安全のためにこの器官を蛹化後24時間以内に予め摘出しておいたものについても同様に注射し、実験区とした。天蚕麻痺性ペプチドは常時滅菌蒸留水に溶解して用いるので、滅菌蒸留水30μlを腹部の第2と第3の関節間膜の背面に注射したものを対照区とした。注射部位としては、この部位に限定されることはないが、多量の出血を避けるため背脈管への注射は好ましくない。背脈管以外であればどの部位であっても良い。通常、天蚕麻痺性ペプチド150~300 nmolesを1頭当たり30μlの滅菌蒸留水に溶解したものを注射するとよい。こうすることで、休眠卵の誘導率を60%以上とし、未受精卵の発生率も2.5~3%レベルに抑えることができる。天蚕麻痺性ペプチドの投与量が150 nmoles未満であると、休眠卵の誘導率は低くなり、また、300 nmolesを超えると未受精卵率が高くなるという問題がある。

【0037】
本発明の休眠卵誘導剤をカイコに投与する方法は、上記注射以外に、生体内に投与できる方法であれば手段を選ばない。例えば、粉末状態の休眠卵誘導剤をカプセル化し、これを蛹に埋め込み体内で溶出させる方法でもよい。

【0038】
カイコ休眠ホルモンと本発明における天蚕由来の麻痺性ペプチドとを比較し、天蚕麻痺性ペプチドの特徴を以下述べる。カイコ休眠ホルモンおよび天蚕麻痺性ペプチドによりカイコの休眠卵を産出する活性(以下、カイコ休眠卵産出活性と略す)をペプチド濃度で比較すると、カイコの休眠卵誘導のためには、天蚕麻痺性ペプチドは、カイコ休眠ホルモンよりも約790倍の高濃度を投与しないと休眠卵が産出しない。例えば、合成したカイコ休眠ホルモンで約50%の休眠卵を得る濃度は、1頭の非休眠卵産出蛹に0.19 nmoles (約0.5μgに相当)の注射で十分であるが、天蚕麻痺性ペプチドの場合は、少なくとも150 nmoles (約366μgに相当)が必要である。カイコにおける休眠卵の誘導のために、天蚕麻痺性ペプチドの方が高い濃度を必要とするということは、真の休眠ホルモンの活性と、そうでない生理活性ペプチドによる活性との違いによるものに過ぎない。この場合、カイコ休眠ホルモンでは9.3%の未受精卵の発生があるが、天蚕麻痺性ペプチドでは2.5%の未受精卵しか発生しなかった。

【0039】
カイコの非休眠卵産出蛹に対する休眠ホルモンの投与量を高めていくと、未受精卵の発生が多くなり、天蚕麻痺性ペプチド並の高濃度(1頭当たり38 nmolesで、約100μgに相当)で注射すると、休眠誘導率は42%レベルまで減少し、しかも未受精卵が43%も発生する。このことは、カイコでは真の休眠ホルモンであるが故に、これを高濃度で使用すると生体内毒性が発現することを意味する。天蚕麻痺性ペプチドを生体に高濃度で投与しても未受精卵発生のレベルは極めて低く、高濃度でもカイコ蛹に対しては麻痺性行動を誘発することなく、また、その他の生理状態(例えば、羽化行動、交尾行動等も含む)を撹乱する現象も認められず、ほぼ完璧に休眠卵産出のみに作用する。

【0040】
さらに、分類上は、カイコ休眠ホルモンの場合、FXPRLamideファミリーに分類されるが、天蚕麻痺性ペプチドは昆虫麻痺性ペプチドファミリーに分類される。従って、アミノ酸配列の相同性がまったく異なる天蚕麻痺性ペプチドが、カイコの生活史を非休眠性から休眠性に変換する休眠ホルモンの生理活性を模倣したことになる。この逆の現象、すなわちカイコの休眠ホルモンで天蚕の麻痺行動を誘発することはない。

【0041】
本発明の有効成分である物質は、それ自体が天蚕の麻痺性ペプチドとして有用であることに加え、将来的には生体防御剤を含めた新規医薬品開発のためのリード化合物として重要となるものと考えられる。本発明における天蚕麻痺性ペプチドは、天蚕の生体防御物質であり、また、カイコの休眠卵産出に有効であることから、生物界において新規な機能を持つペプチドである。

【0042】

【実施例】以下、本発明を実施例および比較例により更に詳細に説明する。本発明は、これらの例により限定されるものではない。なお、実施例を具体的に説明するに先立って、使用昆虫、生物検定方法、有効物質(生理活性物質)の合成、および有効物質の特性解明の概要を説明する。

【0043】
以下の実施例で用いたカイコについて:2化性カイコである大造(カイコの品種名)卵を、15℃において、保存環境に光が全く入らないいわゆる「全暗下」で保存した。このような環境において孵化したカイコ幼虫を25℃で12時間「明環境下」で飼育し、それに続く12時間を「暗環境下」というように、「明暗のサイクルの繰り返し」の環境において人工飼料を給飼して非休眠卵産出蛹を得た。この蛹の生育した雌が羽化した後、雄と交尾し、その後産卵すれば、ほぼ100%が非休眠卵となり、産卵後10日以内で全ての卵は孵化する。一方、2化性カイコの大造卵を、25℃で明環境下で飼育する、いわゆる「全明環境下」保存のような環境において、孵化した幼虫を上記と同じ条件で飼育すれば、休眠卵産出蛹を得ることができる。この蛹の生育した雌が羽化後に雄と交尾し、その後産卵すれば、ほぼ100%の休眠卵となる。すなわち、産卵後、卵内の胚子発育は原腸胚後期で停止し、休眠し続けるからである。さらに、大造卵を用いて、産卵後の保存状態を厳密にコントロールすることにより非休眠卵産出蛹を得る上記方法以外に、もともと非休眠卵産出系統であるN4という系統も一部使用した。

【0044】
生物検定方法について:検体の活性調査は、カイコ麻痺性ペプチドなどを上記したカイコの大造の非休眠卵産出蛹および休眠卵産出蛹の各ステージに注射して行った。一部、N4の非休眠卵産出蛹にも注射した。

【0045】
生理活性物質の合成について:昆虫の麻痺性ペプチド群として知られているもののうち、前記天蚕麻痺性ペプチド(前記Seino et al., 1998)、カイコ麻痺性ペプチド(前記Ha et al., 1999)、タバコスズメガ麻痺性ペプチドII (前記Skinner et al., 1991)、ヨトウの1種のプラズマ細胞拡散ペプチド(前記Clark et al., 1997)、アワヨトウ発育阻害ペプチド(前記Hayakawa, 1991)、ヨトウの1種の心縮性ペプチド(前記Furuyaet al., 1999)の6種類について、報告されている一次構造と完全に一致する一次構造を有する各ペプチドを、ペプチド合成装置(PSSM-8:株式会社島津製作所製)を用いて合成した。なお、休眠卵産出活性の比較のために、カイコにおいて本来卵休眠誘導として蛹の生体内で機能している休眠ホルモン(前記Imai et al., 1991)についても、その一次構造に従って上記装置を用いて合成した。各ペプチドの純度については、HPLCとMALDI-TOFMS(Matrix-Assisted Laser DesorptionIonization-Time-of-Flight質量分析計、VoyagerPerSeptive Biosystems 社製)によって確認したところ、それぞれの純度は90%以上であった。
(実施例1)天蚕麻痺性ペプチドの新しい生理活性機能の解析:2化性系統大造の非休眠卵産出蛹の蛹化後80~85時間のステージのものを使用した。天蚕麻痺性ペプチド150 nmolesを30μlの滅菌蒸留水に溶解し、これを腹部の第2と第3の関節間膜の背面に注射したものを実験区とした。また、カイコ休眠ホルモンの分泌器官である食道下神経節には、非休眠卵産出蛹といえども休眠ホルモンが合成・蓄積されているので、安全のためにこの器官を蛹化後24時間以内に予め摘出しておいたものについても、同様に注射したものを実験区とした。さらに、滅菌蒸留水30μlを腹部の第2と第3の関節間膜の背面に注射したものを対照区とした。各実験区および対照区のカイコが産下した卵の着色の状況を写真撮影した。得られた結果を図1に示す。

【0046】
図1から明らかなように、非休眠卵産出蛹に滅菌蒸留水を注射した対照区では、産出したすべての卵(約250~400卵産卵)は黄白色であり、10日以内に孵化するところの非休眠卵であった(図1(A))。ところが、非休眠卵産出蛹に天蚕麻痺性ペプチドを注射した実験区では、休眠卵の一つの特性である着色卵(淡褐色~濃褐色)を産出した(図1(B))。また、蛹化後24時間以内に非休眠卵産出蛹から予め食道下神経節を摘出したものに、蛹化後85時間に天蚕麻痺性ペプチドを注射した実験区でも、着色卵(淡褐色~濃褐色)を産出した(図1(C))。以上の結果から、天蚕麻痺性ペプチドとして単離・構造決定されたものに、カイコの休眠卵産出という従来の常識からは全く予期できない新規の生理活性機能が存在することが明らかである。次いで、実施例2において、この点をさらに詳細に検討する。
(実施例2)カイコの着色卵が真の休眠卵かどうかの検証:実施例1記載の、天蚕麻痺性ペプチドにより誘導されたカイコの着色卵が、はたして真の休眠卵かどうかについて、次の方法で検証することにした。

【0047】
実施例1で誘導された着色卵の中から産卵後10日経過しても孵化しない卵をカルノア固定液(容量比で、エタノール6:クロロフォルム3:氷酢酸1)で24時間固定した。この卵を100%、95%、90%、80%エタノール-水系の順で洗浄し、このようにして脱水処理した卵を最後に80%エタノール中に入れ、エタノール中で卵殻を除去した。卵殻を除去した卵を、チオニン染色液で2時間染色した後、80%、90%、95%、100%エタノールの順で脱水した。チオニン染色液は次のようにして調製した。チオニン1gとフェノール5gを100mlの蒸留水に溶解して得た原液を、80%エタノールで30倍希釈したものをチオニン染色液とした。定法で染色した卵をベンゼンで透徹し、封入処理したものについて、顕微鏡視野の下で胚子発育の状態を観察した。対照区として、大造の本来の休眠卵産出蛹から産出された休眠卵を上記と同様の方法で、固定染色して観察した。得られた結果を図2に示す。

【0048】
図2(A)に示したように、本来の休眠卵産出蛹から産下された休眠卵は原腸胚後期で胚子発育が停止していた。非休眠卵産出蛹に天蚕麻痺性ペプチドを注射して得られた着色卵、および非休眠卵産出蛹から予め食道下神経節を摘出したものに天蚕麻痺性ペプチドを注射して得られた着色卵でも、本来の休眠卵同様に原腸胚後期で胚子発育が停止していた(図2(B)と(C))。この点をさらに確認するために、本来の休眠卵が冷蔵浸酸という方法で休眠打破され得ることが知られていることから、この方法を用いて休眠打破して、以下のように休眠卵の孵化率を調べた。

【0049】
カイコの休眠打破の現象を理解しやすくするため、胚子発育段階の一般的な知識を説明する。一般に、カイコの胚発生段階は、1)受精期、2)胚盤葉期、3)胚帯形成期、4)原腸胚期、5)細長期、6)突起形成期、7)反転期、8)剛毛形成期、9)催青期(前幼虫期ともいう)、10)孵化直前期というように様々な発育段階から構成されている。特に、カイコの休眠卵においては胚子発育停止がアレイ期で起こると従来から説明されているが、アレイとは胚子の形状を表現する便宜的用語であるので、カイコの休眠卵における胚子発育停止が、発生学的には、原腸胚期の後期で発生することから、本明細書では、「原腸胚後期」と表現することにする。

【0050】
上記したように、天蚕麻痺性ペプチドを注射して得られたカイコの休眠卵は、外部形態上は真の休眠卵同様に原腸胚後期で胚子発育を停止しているが、これだけでは、生理学的にも休眠状態であるかどうかを判定できない。しかし、人為的に冷蔵浸酸処理することで、もし休眠が打破されれば、この休眠卵は真の休眠と判定できる。そこで、産卵後48時間の本来の休眠卵69個と天蚕麻痺性ペプチドで産出された休眠卵135個とを準備し、5℃で20日間低温保存した後に、47℃で保温した比重1.10の塩酸水溶液中にこれらの卵を6分間温湯処理したものを、25℃で10日間観察し、冷蔵浸酸による休眠卵の孵化率を調べた。得られた結果を表1に示す。
(表1)冷蔵浸酸による休眠卵の孵化率
JP0003475239B2_000004t.gif【0051】表1に示したように、本来の休眠卵の孵化率は87%で、天蚕麻痺性ペプチドによる誘導処理で産出した休眠卵の孵化率は89.6%であった。

【0052】
かくして、天蚕麻痺性ペプチドで産出されたカイコの休眠卵は、カイコ休眠ホルモンで誘導された休眠卵同様、外部形態的にも生理学的にも真の休眠卵であることが明らかである。
(実施例3)休眠卵産出に及ぼす蛹ステージと麻痺性ペプチド濃度との関係:実施例1と2の結果から、天蚕麻痺性ペプチドは、カイコの休眠ホルモンと同様に、カイコの休眠卵産出という全く新しい機能を持つことが確認できた。そこで、この新しい機能をカイコの休眠ホルモンの本来の機能と比較検討するために、天蚕麻痺性ペプチドによる休眠卵産出効果と蛹ステージの関係、および天蚕麻痺性ペプチドの濃度と休眠卵産出との関係について検討することとした。対照区としては、常時カイコの休眠ホルモンを使用した。

【0053】
まず、2化性大造の非休眠卵産出蛹の蛹化後6~10時間から144時間までのものについて、天蚕麻痺性ペプチドを1頭当たり150 nmoles注射し、また、カイコ休眠ホルモンを1頭当たり0.38 nmoles注射した際の休眠卵の誘導率を調べた。得られた結果を図3に示す。

【0054】
図3に示したように、天蚕麻痺性ペプチドの場合、効果的なステージは蛹化後72時間から96時間までの間のものであり、51.0~60.1%の休眠卵が産出された。一方、対照区として使用したカイコ休眠ホルモンの場合も、同様に蛹化後72時間から96時間迄の間のものが効果的であり、50.6~51.7%の休眠卵が産出された。次ぎに、蛹化後80~85時間の蛹を使用し、天蚕麻痺性ペプチド濃度を1頭当たり3~300 nmoles注射した場合を実験区とし、また、カイコ休眠ホルモンを1頭当たり0.038~38 nmoles注射した場合を対照区として、濃度の異なるカイコ休眠ホルモンおよび天蚕麻痺性ペプチドの作用による休眠卵の誘導率を調べた。得られた結果を図4に示す。

【0055】
図4に示したように、天蚕麻痺性ペプチドでは、濃度の上昇に伴ってほぼ直線的に休眠卵産出が増加した。注射した最大濃度の300 nmolesでは72.4%の休眠卵を産出した。一方、カイコ休眠ホルモンでは、低濃度で直線的に休眠卵産出効果は増加し、0.38 nmolesでほぼ最大値近くの65.6%まで達し、それ以上の濃度では一定レベルを保ち、3.8 nmoles濃度から減少を始め、38 nmoles濃度で休眠卵産出効果が41.5%になった。

【0056】
実施例3の結果は、天蚕麻痺性ペプチドの休眠卵産出効果と蛹ステージの関係について新たな機構解明を示唆するものである。すなわち、本来のカイコ休眠ホルモンと同様に、その感受ステージが蛹中期に存在することを検証できたが、濃度との関係では、休眠ホルモンと同等の休眠卵産出のためには、天蚕麻痺性ペプチド濃度の方が約350~790倍必要であることがわかった。
(実施例4)カイコの休眠卵産出に及ぼす利点:上記実施例3の結果から、天蚕麻痺性ペプチドのカイコ休眠卵産出効果において、高濃度であれば、カイコ休眠ホルモンと同等の効果があることが明らかになった。そこで、機能安全性について検討するために、天蚕麻痺性ペプチドおよびカイコ休眠ホルモンの濃度と未受精卵発生との関係を調べた。得られた結果を表2に示す。
(表2)天蚕麻痺性ペプチドおよびカイコ休眠ホルモンの濃度と未受精卵発生との関係
JP0003475239B2_000005t.gif【0057】表2に示したように、カイコ休眠ホルモンでは、濃度が高くなるにつれて未受精卵の発生率が高くなり、生理機能が撹乱されていることがわかるが、天蚕麻痺性ペプチドの場合は、このような現象はまったく確認されない。従って、天蚕麻痺性ペプチドを昆虫成長制御剤のリード化合物の骨格とする方が、機能的安全性が高く、目的とする生理的反応以外の撹乱を発生する危険性が低いと考えられる。

【0058】
次いで、これまでに単離・構造決定されている昆虫麻痺性ペプチド群と本発明の有効成分である天蚕麻痺性ペプチドとの生理機能を比較して、本発明の天蚕麻痺性ペプチドがカイコの休眠卵を産出する効果において優れた効果を発揮するかを評価した。

【0059】
すなわち、前記カイコ麻痺性ペプチド、タバコスズメガ麻痺性ペプチドII、ヨトウガの1種のプラズマ細胞拡散ペプチド、アワヨトウ発育阻害ペプチド、ヨトウガの1種の心縮性ペプチドの5種類の昆虫麻痺性ペプチドファミリーについて、既知のペプチド合成装置で合成し、これらペプチドによるカイコ休眠卵産出効果を、実施例1および実施例3と同様の方法で検討し、得られた結果を表3に示す。
(表3)昆虫麻痺性ペプチドファミリーによるカイコ休眠卵産出効果(大造)
JP0003475239B2_000006t.gif【0060】表3から明らかなように、カイコ麻痺性ペプチドでは、天蚕麻痺性ペプチドと同様に蛹化後80~85時間の蛹に60 nmoles注射した場合、0.1±0.2%という極めて低い休眠卵産出率であった。一方、高い休眠卵産出率のアワヨトウ発育阻害ペプチドでも45.6±7.8%であり、天蚕麻痺性ペプチドの63.9±9.3%よりかなり低いレベルであった。なお、未受精卵発生率はいずれのペプチドでも2.0~4.0%のレベルに抑えられていた。

【0061】
以上の結果から、カイコの休眠卵産出効果としては、これまで発見されている昆虫の麻痺性ペプチドファミリーの中で、天蚕から単離構造決定された本発明で用いる天蚕麻痺性ペプチドが最も効果的であることが判明した。このことは、将来新しい昆虫成長制御剤を開発する上で、天蚕麻痺性ペプチドの一次構造がリード化合物の骨格となる価値があることを示している。
(実施例5)カイコの系統品種による休眠卵産出効果の検証:上記、実施例1~4は、2化性のカイコ、「大造」の非休眠卵産出蛹に、本発明の天蚕休眠卵誘導剤の有効成分である休眠卵誘導物質を注射した場合についての結果を示すものであった。本発明の有効成分が、不特定のカイコにも有効であることを2化性のカイコでなく、多化性のカイコを用いて次のようにして確認した。

【0062】
休眠卵誘導物質の投与条件は、実施例4の表3に示した条件と全く同一とし、被検用のカイコ蛹は、カイコ休眠ホルモンの生物検定で使用した多化性系統のN4の蛹を利用し、休眠卵誘導性に及ぼす影響を、天蚕麻痺性ペプチドを含む以下の合計6種類のペプチドファミリーを投与することで検討した。各麻痺性ペプチドの投与量を1頭当たり60 nmolesとし、カイコの休眠卵産出効果を調べた。得られた結果を表4に示す。
(表4)昆虫麻痺性ペプチドファミリーによるカイコ休眠卵産出効果(N4)
JP0003475239B2_000007t.gif【0063】表4から明らかなように、N4系統においても天蚕麻痺性ペプチドによるカイコ休眠卵産出効果が最も高く、表3記載の「大造」系統と同様の傾向が確認された。このことから、天蚕麻痺性ペプチドの新規機能はカイコの系統間の違いに左右されることなく発揮されることが明らかである。

【0064】
上記実施例から明らかなように、天蚕麻痺性ペプチドは、カイコに対する優れた休眠卵誘導性を持つため、カイコと同じ原腸胚後期のステージで休眠する昆虫種であれば、天蚕はもとより、クワコ、ウスバクワコ、クスサン、ヒメシロモンドクガなどにも適用することができると共に、有用昆虫から害虫に至るまでの生活環境制御にも利用することが可能である。

【0065】

【発明の効果】本発明の休眠卵誘導剤は、配列表の配列番号1に示すアミノ酸配列を有し、C末端が遊離酸化され、分子量が2435.73であるペプチドを有効成分として含むため、昆虫(例えば、天蚕)の休眠卵を効率的に誘導させる生理活性を有するので、カイコ等の昆虫に作用し休眠卵を産出する機能を持ち、休眠卵を産出するための簡単な投与法が期待できる。また、本発明における新規生理活性物質を用いることで、昆虫休眠メカニズムの機構を解明することも可能である。更に、本発明の休眠制御物質を、休眠することが確認されている他の種類の生物に利用することにより、これら生物が休眠する本質ともいえる「低エネルギー代謝」の生命機構を解明するのにも有効である。本発明の休眠卵誘導剤は、将来的な視点に立てば長期生命維持の促進物質と成り得るし、最終的には長寿促進物質の開発のためのリード化合物ともなり得る。このように、本発明の休眠卵誘導剤は、生物学、生命科学、薬学、農学の各領域で重要な役割を演ずることが期待でき、さらに本発明のペプチドは、休眠卵誘導機能のある新しい医薬となり得る。

【0066】
本発明の休眠卵誘導剤と従来のカイコ休眠ホルモンとによるカイコの休眠卵産出効率を比較すると、天蚕麻痺性ペプチドの方がカイコ休眠ホルモンよりも高い投与量を必要とするが、休眠卵を産出する効率を高めるため、カイコに投与するカイコの休眠ホルモン濃度を高めると、未受精卵の発生が多くなり、生体内での毒性が発現するが、本発明の天蚕麻痺性ペプチドの場合、相当高濃度の投与量であっても未受精卵発生のレベルは極めて低く、カイコの全体の生理活性を撹乱するような現象は認められないという利点がある。

【0067】
カイコ休眠ホルモンの場合は、FXPRLamideファミリーに分類されるが、天蚕麻痺性ペプチドは昆虫麻痺性ペプチドファミリーに分類される。従って、アミノ酸配列の相同性がカイコの休眠ホルモンとは全く異なる天蚕麻痺性ペプチドが、カイコの生活史を非休眠性から休眠性に変換する休眠ホルモンの生理活性を模倣したことになる。しかし、この逆の現象、すなわちカイコの休眠ホルモンで天蚕の麻痺行動を誘発することはない。このことは、21世紀のポストゲノムの大きな課題となる「タンパク質の機能と構造」の視点から、学術的にも応用的にも重要な発見を提案している。

【0068】
以上のことから、本発明のカイコ休眠卵誘導剤によれば、将来、天蚕麻痺性ペプチドを大量合成することによりカイコの休眠卵産出を安定化するのみでなく、このペプチドをリード化合物として新規昆虫成長制御剤を開発することが可能となる。さらに、多くの生物に普遍的にみられる「休眠」という現象を、タンパク質の高次構造の特異性とレセプターの分子機構との関係から追求する上で、天蚕麻痺性ペプチドは優れた昆虫ペプチドになり得ると考えられる。

【0069】
また、天蚕麻痺性ペプチドは、次のように利用できる。従来から知られている昆虫麻痺性ペプチドファミリーに比べて、本発明の天蚕麻痺性ペプチドは、カイコの休眠卵産出面において最も優れた機能を示す。その作用機構は、カイコ休眠ホルモンを模倣しているものの、天蚕麻痺性ペプチドをカイコに高濃度投与しても、従来の休眠ホルモンと違って、未受精卵を発生することは極めて少ない。そのため、天蚕麻痺性ペプチドの一次構造をリード化合物とすることで、基礎的にはカイコの休眠卵誘導のメカニズムの解明が可能となり、応用的には世界中のカイコ非休眠系統種の随時保存法の確立のための基盤技術となり得る。なお、本発明の天蚕麻痺性ペプチドは休眠卵誘導性を持つため、カイコと同じ原腸胚後期のステージで休眠する昆虫種であれば、天蚕はもとより、クワコ、ウスバクワコ、クスサン、ヒメシロモンドクガなどにも適用することができると共に、有用昆虫から害虫に至るまでの生活環境制御にも利用することが可能である。

【0070】
上記したように、本発明における休眠卵誘導物質は、カイコ休眠ホルモンよりも、未受精卵発生率が極めて低く、カイコの生理状態を撹乱させるようなことがないため、インド、ベトナム、タイなどの主要な生糸生産国でのカイコに対して、非休眠系統を効果的に休眠させることができる。

【0071】
また、本発明の休眠卵誘導剤は、2化性カイコに限定されることなく、インド、タイ、ベトナムなどの東南アジア等で飼育する多化性のカイコにも適用が可能である。そのため、多化性系統品種を随時休眠化するための休眠卵誘導剤は、生糸を製造するという世界の養蚕・産業レベルにおいても重要である。

【0072】
上記したように、本発明では、天蚕由来の休眠卵誘導を制御する麻痺性ペプチドをカイコの休眠卵産出のために極めて効果的に利用できるものであり、将来の昆虫成長制御剤のリード化合物となる。

【0073】

【配列表】
SEQUENCE LISTING
<110> Inoue, Hajime; Director General of National Institute of Sericultu
ral and Entomological Science Ministry of Agriculture, Forestry and Fish
erries
<120> Agent for deriving diapausing eggs of insects and method of produc
ing diapausing eggs
<130> K000326

<160> 1
<210> 1
<211> 23
<212> PRT
<213> Antheraea yamamai Guerin-Meneville
<400> 1
Glu Asn Phe Ala Gly Gly Cys Ala Thr Gly Phe Met Arg Thr Ala Asp
1 5 10 15
Gly Arg Cys Lys Pro Thr Phe
20

図面
【図1】
0
【図2】
1
【図3】
2
【図4】
3