TOP > 国内特許検索 > ラマン分光法を用いた生体分子の解析方法及び装置
毒性や薬効を有する低分子化合物(薬剤等)は、生体内でタンパク質等の生体分子に作用して生物活性を示す。低分子化合物に対する標的生体分子の生体内或いは細胞内での分布を調べ、その標的生体分子を特定し、作用する特異部位を解析して生物活性が発現する仕組みを解明することは、有効な治療法及び治療薬の開発やそれらの基盤となる生命研究においてきわめて重要である。
標的生体分子の生体内又は細胞内での分布を調べる方法については、放射性化合物、りん光化合物や蛍光化合物を用いる分子イメージング、並びに生体分子自身の散乱光を検出するラマンイメージングが知られている。生体又は細胞内での分子イメージングは、疾病の状態や薬剤の動態等を理解するために重要な技術であり、近年急速に開発が進んでいる。ラマンイメージングでは、ラマン分光法を利用し、試料に照射したレーザーのラマン散乱光を検出し、その分布をイメージ化する。ラマンイメージングは、放射性化合物、りん光化合物や蛍光化合物を用いる分子イメージングに対し、非放射性で標的分子に対する影響が小さい低分子化合物を用いるため、細胞の動的状態をありのまま簡便に調べることができる。この場合、炭素―炭素三重結合を有するアルキン等を標識に用いると、標的分子に対する影響を最小限に抑えたまま、より高感度のイメージングが得られることが報告されている(非特許文献1)。非特許文献1は、核酸類似体である5-エチル-2’-デオキシウリジン(EdU)を細胞に取り込ませ、これが細胞核に取り込まれたことをラマン顕微鏡でのイメージングにより確認したことを記載している(非特許文献1、第6103頁図2、図4参照)。非特許文献1では、標識に特有のラマンピークが得られる波数でラマン像を得る。したがって得られるイメージは特定の波数のラマンピークの空間的な強度分布である。
薬剤等の低分子化合物と当該化合物が標的とする生体分子を探索し、結合部位を同定する方法については、液体クロマトグラフと質量分析計を組み合わせたLC-MSが用いられている。LCで試料を分画し、分画試料を順次網羅的にMS、MS/MS解析に供して標的生体分子の特定や、結合部位の同定を行う。MS解析においては、低分子化合物の結合に由来する質量シフトを元に、標的となる生体分子を探索する。さらに、MS/MS解析により、ペプチドのアミノ酸配列等の情報を取得し、結合部位を同定できる。
LC-MS等の分析法により、細胞中の標的生体分子を識別するには、(1)細胞に低分子化合物を取り込ませ、低分子化合物を細胞内の標的生体分子と結合させる、(2)細胞を破砕する、(3)細胞破砕液から標的生体分子を検出する、(4)標的生体分子を分析し、特定する過程、又は、(1)細胞を破砕する、(2)細胞破砕液に低分子化合物を混合し、標的生体分子と結合させる、(3)細胞破砕液を分画する、(4)標的生体分子を分析し、特定する、の一連の過程が必要とされる。また、生体分子と低分子化合物との結合部位を特定・同定する方法については、(1)低分子化合物を生体分子に結合する、(2)低分子化合物と結合した生体分子を断片化する、(3)結合断片を検出する、及び(4)結合断片を分析し、結合部位を同定する過程が求められる。
しかしながら、上記の過程を経て得られる複雑な試料に対し、LC-MSを用いて網羅的に生体分子の探索を行い、配列決定や結合部位の特定を行うには、膨大な時間を要し、かつ誤りも出やすい。また、低分子化合物と生体分子の間の結合の様式が不明である場合、想定される質量シフトを元にした標的分子の探索は原理的に不可能となる。液体クロマトグラフの代わりにキャピラリー電気泳動装置を用いる方法(CE-MS)も考案されているが、LC-MSと同様に、網羅的に検出せざるをえないため、解析対象がきわめて多く、長時間の複雑な解析操作が要求される。
細胞内標的分子を選択的に質量分析等の解析に供する手法として、低分子化合物を結合した担体を用いてアフィニティ精製し、標的分子を分離精製する方法が開発され、広く用いられている。また、標的生体分子と反応性の官能基を利用して共有結合を生成した後に、予め低分子化合物に導入された放射性、リン光又は蛍光性化合物等を調べることにより、結合した標的生体分子を特定する方法も用いられている。標的分子の結合部位を特定・同定する技術に関しても、蛍光団を低分子化合物に導入して観察する方法が広く用いられている。例えば、標識した薬剤とタンパク質との結合部位を特定・同定する方法に関し、蛍光団としてキサンチン色素(ローダミン、フルオレセイン又はロドール)、シアニン色素、クマリン色素又は複合色素を薬剤の標識として用いる方法が報告されている(特許文献1)。
しかしながら、低分子化合物として放射性化合物を用いた場合、放射性同位体の化学的性質は基本的に同一であり標的分子の活性に対する影響はないが、使用できる設備が放射線管理施設に制限されること、さらに、結合部位を同定する過程等に使用法の制約が大きく、簡便な方法とは言いがたい。分子量の大きなりん光化合物や蛍光化合物を直接標的分子に結合する方法では、放射性化合物と異なり、使用制限は殆どないが、蛍光団の分子量が、低分子化合物と比較して大きくなることにより、低分子化合物の活性又は結合特性に影響を及ぼしうるという問題点がある。例えば抗癌剤の一種であるフルオロウラシル(5-FU)は分子量が130であるのに対して、典型的な蛍光団であるRhodamine 6Gの分子量は479である。5-FUをRhodamine 6Gで標識した場合、蛍光標識による抗癌剤5-FUの生理活性に影響が生じうる。また、Aglaiaという植物から抽出された抗癌剤フラバグリン(flavagline)では、癌細胞特異的に細胞増殖を阻害し、かつ抗癌剤は副作用を起こしにくいことから生体内での作用機序の解明が求められているが、蛍光団で標識すると薬剤活性が1/40以下に低下してしまうことが報告されている。非特許文献2の第5180頁右欄によると、フラバグリンが細胞増殖を50%抑制する濃度であるIC50は3 nMであるのに対して、蛍光標識したフラバグリンでのそれは130 nMまで低下する。さらに、非特許文献3においても、標的タンパク質に結合する分子16F16を蛍光団で修飾すると、その活性が消失することを報告している(非特許文献3、第901頁右欄13-17行)。
上記の標識法の改良法として、まずアルキニル基を官能基として含む低分子化合物(アルキン)を標的生体分子に結合し、その後クリック反応により蛍光団を導入し、標的生体分子を酵素等により分解、断片化する方法が報告されている(非特許文献3、第902頁図3参照)。この方法を用いた場合、標的タンパク質の活性消失等の弊害は減少するが、操作が複雑であること、非特異的な結合反応があること、銅などの触媒が必要であること、並びに反応操作により標的分子のロスが生じることが問題となる。そのため、試料の量が十分でない場合などに、実用的に適用するには限界がある。細胞内でのタンパク質の翻訳後修飾を探索する方法に関しても、クリック反応を用いた例としてはパルミトイル脂質を細胞に取り込ませ、その後これを、クリック反応を用いて蛍光団で修飾し、蛍光分析により当該脂質に結合するタンパク質を特定する報告例(非特許文献4)や、ファルネシル脂質にクリック反応でビオチンタグを導入し、ストレプトアビジンで検出する報告例がある(非特許文献5)。しかしながらこれらの方法もクリック反応に伴う上記の問題を内包する。
放射性物質や蛍光団による標識を介して標的分子を探索する手法と比較して、ラマン分光法は、分子振動情報を元に、標的分子を無標識で検出することができる。利用施設の制限もなく、低分子化合物の活性や結合特性への影響もないことから、ラマン分光法とLC-MSの組み合わせは、前述の種々の課題を克服する、新しい検出手法となりうる。これまでに、ラマン分光装置とマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析計を組み合わせ、リゾチームを解析した例が報告されている(特許文献2、第27欄、図31及び請求項21)。しかしながら、特許文献2に記載の発明が解決しようとする課題は、ラマン分光分析の感度を高めることにあり、そのために試料を隔離された状態で凝集させる手法が開示されている。また、特許文献2で質量分析計が使用されているのは、ラマン分光で確認された結果を別の方法により再確認するためであり、低分子化合物と結合する生体分子の特定、結合部位の同定を目的とした本発明とは、基本的に異なる。
本発明は、低分子化合物と結合する生体分子、特に細胞内若しくは細胞外の生体分子を特定し、又は生体分子と低分子化合物との結合部位を同定する解析方法及び装置に関する。より詳細には、本発明は、試料分離部、ラマン分光部及び質量分析部を含む装置及びラマン分光分析と質量分析を組み合わせた生体分子を特定する方法、及び生体分子と低分子化合物との結合部位を同定する方法に関する。また、本発明は表面増強ラマン分光法に関する。
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